ウィーン に引っ越してからのこと
数年前までは、自分のウェブサイトで毎日のように自動記述のように日記を書いて公開していたし、2008年から2014年までの日記を素材に偽物の注釈を施すことによって日記そのもののから真実性を排除して2015年から過去を再構築し、自己修正主義的な過去の解体を目指すした本『過去に公開した日記を現在の注釈とする:天麩羅』(UMISHIBAURA刊, 2015)も出版した。
『過去に公開した日記を現在の注釈とする:天麩羅』
http://umishibaura.jp/
それからというもの、生活がだらけたというのか、実をいうと長いこと長い文章を書いていないかったこともあってか、それでもってfacebookとtwitterというソーシャルメディアの出現によって、本当に長いこと長い文章を日記のように習慣が減ってしまったうえに、2016年3月に文化庁から助成をもらって1年ウィーン で研修する機会もあってか、それもこれもあれもこれもあって、文章を書くというかつて日々の習慣のようにしていた機会がずっと奪われてきていた。そいうこともあってか、いつかまた長い文章を毎日書き続けることによって、これは推敲もせずにアウトプットする日記の体裁を装った僕なりのブレインストーミングであるからして、そういうことを今日の今までやってこなかったのかと悔やまれるのと同時に、ようやくこうやってnoteというサイトで再開してみることにする。
それはきっと、僕が芸術家として最初の制作のポイントになることが、そのタイトルに凝縮されていることにも大きく拠るし、そこから大きなインスピレーションを得てきた経験も多いにあると思われるし、振り返ってみればこの10年以上の創作行為はすべてそこに立ちもどれるのではないかという淡い思いと思い込みを持ってこのnoteを再開してみたい。
さて、ぼくは今オーストリアの首都ウィーン いる。使用通貨は円からユーロに変わったし、話している言葉は日本語から英語かドイツ語に変わったし、ウィーン はとても老人のようなよぼよぼの街だと思うし、そのサイズは名古屋を少しばかり大きくした程度のもので、数年前まで東京に住んでいたその感覚と比較すれば、そのそれはとても穏やかで時間の流れ方は本当に全世界で24時間が同じ24時間として経験することができるのかという疑問を持つくらいに時間の流れは違うものであって、週末は当然スーパーへ閉店、平日でも8時には閉店する。早いところだと7時30分には閉店する。これでは日本の感覚で仕事帰りに買い物をするのは、ちょっと時間が足りない、というわけで当然ながら仕事は早めに切り上げているだろうし、だからと言って朝は早いのかというとそうでもなくて、おそらく日本と同じような時間に出勤しているようだ。さらにオーストリアはカトリックの国ということもあって、宗教絡みの祝日が矢鱈とある。
そういう国に引っ越してしまったのだから、少なくとも僕の作品制作の作法ややり方は変えなければならず、その四苦八苦をもって次に挑めればいいのだが、そういうしているうちに2年が経過した。いや2年間何もしてなかったわけではなく、もちろん大小の様々な展覧会に招待してもらったり、コミッションワークで新作を制作したり、またはあてずっぽで旅もした。これからのnoteでは、その一部始終のことを少しづつ記録していくことによって、自分の制作をより冷静に俯瞰的に眺めることによって新しい道を切り開いていこうと考えている。果たして自分が書く文章によって、自己更新ができるのかどうかということについては、後々いろいろ考えるとして、今のところはその創造行為の原点に立ち戻っていこうとしたい。
おそらく書く内容は、自分の制作やウィーン のアートシーンもしくは、その周辺で見聞きする現象が中心になるだろうから、それはそれでこの街に住んでいない人からすれば、僕の文章とは関係なく、それなりに興味深いものもあるかもしれない。
さて、いきなりだが上の写真が僕にとってのウィーン の状況を写したものである。より正確にいえば毎週土曜日に開催される蚤の市の状況なのだが、まさに嵐のごとく何が売り物で何がゴミなのかは判別しないどころか、誰が販売しているのかすらはっきりしない場合もある。蚤の市が終わる午後6時ごろの様子で、この時間帯に行くことができればたいていの物は無料で手に入る。というのも、多くの出品者が売り物を放棄して帰ってしまうからだ。なかには丁寧にも「はい、これからは全部無料ですー!」と宣言して帰る輩もいれば、無言に立ち去る人もいる。そういうことなので、この時間帯をめがけて集まる人々が多数いて、それはもう地獄絵図の様相である。ちょっと誇張して話しているんだろうと思われるかもしれないけれども、それもこれも込みでウィーン の状況とどうやって対峙しているのかを読み取ってくれればいいと思う。それでは!