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オランダ生活の夏休み〜心も体もリセットする年度終わり【Afleverng.216】

ヨーロッパ旅行の思い出

2022年の夏、オランダに暮らすようになってから初めてまとまった休みを設定し、家族旅行に出かけました。私たちがオランダに暮らすようになったのは、自分たちの生活の見直しや、教育に関する新たな視点を取り入れるためで、2020年に日本の公立高校の教諭を辞め、オランダでフリーランスとして働くようになりました。
 新しい仕事を始めたばかりでいろいろとバタバタとしていたことや、旅行に出かけにくいこの数年を経て、やっと休みを設定して自分達の時間を過ごせるぐらいにまで落ち着いてきました。
 そして、ヨーロッパ各国が規制を緩和し、少しずつ人の移動もしやすくなってきているこのタイミングで、娘の夏休み期間に合わせてヨーロッパのいろんな国をめぐる旅行にでかけることにしました。そして、3週間に及ぶヨーロッパ9カ国の旅行を無事に終え、昨日帰宅してホッとしたところです。そこで今回は、私が遠い過去に忘れてしまっていた「長期休暇」の効用についてまとめておきたいと思います。

そもそも「長期休暇」はいつ以来だったのか?

 そもそも夏休みをゆっくりと過ごしたのはいつ以来のことでしょうか?小学校の高学年になるまでは、祖母の家に遊びに行って従兄弟と遊んだり、家族で小旅行に出かけたりとのんびりと過ごしていたように思います。
 しかし、小学校高学年からは母親(母子家庭一人っ子なので家族は母親のみです)の方針で中学受験の準備をしなければならず、小学5年生からの夏休みは塾で過ごすことになりました。
 そして、中学校に入ってからは部活動で学校に行かなくてはならないので、平日は自宅と学校の往復をし、休日は大会で遠征に出かけていました。
また、受験が近づくと塾や予備校に通っていました。それは、高校生の時も同様です。つまり、中高生のような多感な時期になったのにもかかわらず、1ヶ月近い休みがあったとしても常に学校の友達との関わりしか持てず、塾に行っても学校の勉強の延長線上にあることしかしていなかったのです。
 大学生になってからは、アルバイトに明け暮れて、旅行にはあまり興味が持てないままでした。今考えるととてももったいない過ごし方をしていたと思います。大学生の空き時間は学習塾で教える力を磨くことと、お金を稼ぐことしか考えていなかったのです。
 そして社会人になってからは、公立高校の教諭として働いていたので、部活動の付き添いや生徒のインターンシップなどがあり夏休みになっても休むことはありませんでした。
 その時の私には気づけていないことがありました。いつも同じ場所で過ごすことは、そこにいる仲間が持つ価値観や考え方もある程度共有できているためとても居心地が良いのです。しかしその一方で、新しいものや自分の価値観とは違うものに触れる機会が乏しくなってしまうため、見える世界の範囲が狭くなっていたことに気づくことができませんでした。そういう状況下でどういうことが起こるかというと、何か自分が困ったことに遭遇した時に、狭い考えしか持てていないので、広い視野で捉えることができないのです。私たち夫婦は共に公立高校の教員でしたが、目の前の業務が多すぎて、スキルアップや視野を広げるための研修を受ける時間的な余裕がなかったのです。目の前の業務をこなしているうちにどんどん時間が経過し、自分達が行っている教育活動にどんな問題があるのかを考える力すらも私にはありませんでした。

私の休暇の思い出

 私はこれまでに2012年の夏休みに行ったアメリカ(ワシントンD.C.とニューヨーク)旅行と、2018年の春休みに行ったオーストラリア旅行が印象に残っています。その時も、通常業務が忙しい中、妻が外の世界を見たほうがいいと連れ出してくれたのです。
 その時に見たものや感じたことは今でも記憶に残っていますし、たかが旅行ではありますが、自分の住んでいる国と異なる価値観を持つ社会の中に身を置くことはとても良い経験になりました。

長い長い夏休みで得たものとは?

 今回、約3週間の日程でヨーロッパのいろんな国をめぐってきました。そこで学んだことはたくさんあります。特に、1週間近く滞在させていただいたフィンランドでは、教育や社会について少しだけ知ることができました。
 日常生活の中では、仕事の片手間でしか「学ぶ時間」を作るしかありません。しかし、長期の休暇を利用することで通常業務を一旦とめることができます。そして、いつもの見慣れた場所を離れ、新しく訪れた街の風景を見ながら散歩したり、そこに暮らす人たちと話したり、ボーッと電車やフェリーから見える景色を眺めます。すると、いつも通常業務でいっぱいいっぱいの脳がリフレッシュして、「こんなことをやってみたらどうかな?」というアイデアがふと浮かんでくるようになります。
 その結果、「家に帰ったらやってみようと思うこと」のリストがたくさんになってしまいました。長期の休みを設定することで、通常では思いつかないようなことにもたどり着くことができるのです。

「研究」と「実践」の中で

 これまで公立高校の教員や子どもを対象とする日本語教室の講師をしている中で、いつも自分の方法をもっともっとレベルアップさせたいという思いがありました。しかし、新しい知識を入れたり、今の教育方法に関する研究にアプローチするための余裕もありませんでした。最近は、子どもの脳や心の発達、非認知能力に関することを書籍から学び、授業の中で実践してきました。
 しかし、そういった新しいアプローチをする中にも「これで良いんだろうか?」という気持ちがどこかに残ってしまいます。そこで今回フィンランドにお住まいで現在大学院で研究をされているご夫婦のお話を聞いて、自分なりの結論が見えた気がしました。
 それは、研究と実践を常に織り交ぜることが大切だということです。大学院に行って研究をするのか、教育現場で子どもたちに教えるのか、どちらかを選ばなければならないのではなく、まずは両方を追いかけてみるということです。日本にいる時は知らなかったのですが、海外の教員養成課程では実習を長期にわたって設定し、研究と実践を織り交ぜるカリキュラムになっているところもあります。オランダやフィンランドに関してはそうなっているようです。
 私にとっては、どうしても「実践」は欠かしたくはないという気持ちがあるので、実践以外の時間はできるだけ自分の学びの時間を捻出する必要があります。今回、実際研究職をなさっている方々の話を伺うことができたのは本当によかったです。出会いの数だけいろんな人生に触れることができ、その分自分の人生の豊かさにもつながるような気がしました。

私の中の変化

 今回の休暇で2つ大きな学びがありました。1つは、先述の通り教育は経験だけでなく、「研究」も続けなければならないということです。そしてもう1つは、教育方法のアプローチとして、授業方法だけでなく、学びの環境設定について考える必要があるということです。オランダとフィンランドの教育について学んでいると、子どもが学びやすい環境設定というのがしっかりと考えられていることがわかり、改めて自分がおこなっている日本語の授業をおこなっている教室の環境整備についてもう一度考えてみることにしました。それについても、今後学びながら実践していこうと思いました。
 現在は、大学院に行かないと学べない時代ではなく、どこでも学ぶことができます。研究機関にいなくても触れることができる論文もあると伺ったので、今後はそれらの情報にも触れていきたいと思います。

日本語だけで研究する限界

 実際に研究をされている方とお話しを伺っている中で、研究論文を読もうと思うと、やはり日本語だけでは不十分で現地語ではなく英語が必須になるということが分かりました。私の中にあった、オランダ語と英語のどちらを学ぶのかという疑問の答えは「どちらもやらなければならない」ということです。それがはっきりしたのがとても良かったです。

旅行での学びを活かして

 私が今勤めている日本語教室には、いろんな年齢、いろんなバックグラウンド、いろんな学校に通っている子たちが、日本語を学びに来てくれています。
 子どもたちは一人ひとり違うのですが、その違いを活かした教育方法のヒントが「非認知能力の育成」だと思っています。そのために、今の非認知能力の研究や継承語教育に関する研究に触れたいと思っています。もちろん、これまで読んできた書籍から学んだこともたくさんあるので、研究論文にも触れて考えを固めていきたいです。

結局は「教育」のことがいつも頭にある

 フィンランドの子どもたちがどのように学んでいるのか、滞在させていただいたお家にあった書籍を読ませていただいたり、現地の学校に見学に行った妻から話を聞いたり、フィンランドに滞在している日本人の方たちと話している中で、私の中にはいつも教育のことがあるということも改めて感じました。

 子ども達が幸せに生きることができたらきっと世の中はもっと良くなっていくと信じています。そのための教育の役割は大きいです。
 まわりの人からたくさん愛されて育った子どもは自信を持ち、その自信が直面する困難に立ち向かったり、文化や価値観の異なる人たちと手を取り合う力に変わります。そして、家庭教育や学校教育の中で、私たちが住む世界の広さや複雑さを学び、世界で今起こっている様々な問題はとても複雑で、社会を支える人たちが根気強く取り組んで解決に向かっていかなくてはならないことを知ってほしいです。そのために必要な教育とは何か、「大きなシステムの中で本質を見落とさないようにする力」も大人に求められています。

 正直、日本の学校現場に戻りたいという気持ちはまだ強いです。お恥ずかしながら、最近でも学校現場で教えている夢をよく見てしまいます。笑
 しかし、現場に戻る前にやっておきたいことがあります。これまで私自身が感じることのできなかった「世界の広さ」を知ること、そして教育に関する研究をすることです。いずれは海外の大学院で学びたいと強く思うようになりました。
 今は日本語教室の子どもたちや、オンラインでサポートしている世界各国や日本にいる子たちと関わるサポートで子どもたちの幸せに貢献したいと思っています。自己研鑽を積みながら自分にできることをこれからもやっていきたいと思います。

人が幸せに生きるために、北欧に答えがあるのではなく「ヒント」があった

 以上、私が海外生活を始めてから初の国外旅行から得たものについてまとめさせていただきました。長い休みは単なる贅沢やわがままなどではなく、仕事の生産性を高める立派な研鑽期間なのです。今回、しっかり休むことの大切さを自分自身が実感できたとともに、北欧の厳しい環境で育った人たちが作ってきた社会システム(人が病まないようにしつつ国の経済力も高める)からも学ぶことができました。そもそもフィンランドは冬の環境がとても厳しいことから、社会システムを変えなければ国として生き残っていけないという状況があり、幸福度を高めるための施策を実施してきたのだと思います。
 そこは、四季があり日照時間も安定している日本では気付きにくいところかもしれません。環境が違うので、全てをコピーすればうまくいくわけではありませんが、それでも精神的な幸福度を高めるヒントは幸福度の高い国から学べることもあると思いました。

長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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