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カリキュラムやテキスト先行ではなく、子どもを学びの中心にする【Aflevering.36】

 私は日本の公立高等学校の教員を退職し、現在オランダのデンハーグにある日本語教室で、子どもたちの日本語学習のサポートをしております。
 日本の現場で感じた、「子どもが置いていかれている」教育のあり方をもう一度見つめ直すために、オランダの教育や社会について学びながら、「教育の本質」について自分なりに考えを深めていきたいと考えています。

 教育の本質を考える上で、今回は子どもの成長に関わる「教材」の捉え方について考えたことをまとめておきたいと思います。

教材が中心だった私の現場での教育

 私が日本にいた時は、社会科教諭として工業高校と普通科高校に勤めていました。
 工業高校では、あまり教科書の縛りはなく、子どもたちの興味関心や能力開発にフォーカスした形での授業を考えることができていました。
 しかし、普通科高校では大学進学を希望する生徒が多い学校で、1年生から大学受験に向けた学習をスタートさせなければなりません。私は、高校生が社会に出た時に身につけてもらいたい授業をしたい反面、入試に向けて教科書の内容を着実に進めなければならないというプレッシャーもありました。
 生徒には授業で何を学ぶべきなのかについて話をしてはいましたが、大学入試が生徒たちに大きくプレッシャーとして乗っているため、授業作りにはとても苦労しました。
 教科書通りに授業を進めながら途中で深く考える課題を設定したり、教科書の内容を止めて、あるテーマについて深掘りして生徒たちのスキルを伸ばすことはとても難しかったです。
 教科書や資料集をうまく活用しながら、深い学びのある授業を実践されている先生方には心から尊敬します。

子どもを中心にして考えてみた

 日本語教室で日本語学習のサポートを始めてから、私が教える子どもの年齢はぐんと下がりました。15〜18歳の生徒40人を相手に授業を構成していたところから、5〜11歳までの子ども数名を教えることになりました。
 ここで、高校現場では見えていなかった学びのポイントに気づくことができたのです。
 それは、子どもは自分の興味関心や勉強に対する気持ちがとても正直で、気持ちと定着率にかなり強い関係が見られるということです。
 私が勤めていた高校では、生徒たちが私に合わせてくれていたところもあるので、正直まだ見えていないところがあることに気付きました。

 小学生ぐらいの子どもは、もちろん高校生と同じやり方では通用しませんが、興味をひくものはとことん取り組み、あまり興味のないものを与えられてもやりたくないという意思表示をします。そこで、私は子どもが「何これ?やってみたい」と思うようなきっかけを作ることが大切だと気付くことができました。

 日本語がマイノリティな環境下で日本語を学ぶ時、「あなたには日本語の勉強が必要だからこれをやりなさい」というのは子どもにとってかなり苦痛で、心の成長やその後の学力を伸ばす上でもあまり良くないと考えています。
 そこで、楽しいという気持ちを大切にするための「教材」の役割について考え直すことにしました。

 それぞれの学年で教えたいことは大体は決めており、それに必要な教科書やテキスト、その他プロジェクトベースのアイデアを用意しています。また、子どもの興味関心に合わせて学ぶ内容は、その都度入れ換えるようにしています。つまり、子どもを中心として学ぶ内容を調整するということです。
 また、自ら選択した学習に対しては、子どもなりの責任感がありますので割ときちんと最後まであきらめず取り組んでくれます

 少なくとも、私の日本語教室は学校とは違う役割があると思っています。学校+αの環境であるため、子どもたちにとって楽し続けられることも念頭におきながら、日本語の力をつけていけるようにしたいのです。
 しかし、子どもたちの日本語力を高める必要もあるので、スキルに関するトレーニングは毎回の授業でしっかりと行います。

「宿題」は講師と生徒の約束

 日本語学習においては、毎日少しずつやることが理想です。現実として、週に1回90分だけでは限界があります。
 しかし、大量の宿題を与えてしまうと、子どもは気持ちがネガティブになってしまって、日本語学習を消費するものとして捉えてしまう可能性があります。
 そのため、学びはじめは宿題の量をかなり少なくして、保護者に頼らず自分で時間を見つけて宿題に取り組むようにしています。
 また、保護者は「宿題をやりなさい」とは言わないようにお願いしています。「宿題」という先生との約束を自ら守ることができたという成功体験をしてもらうために、自分でできるようになるまで、宿題を課した私が責任を持ちます。
 仮に、嫌々と思いながら取り組んだところで成果があまり期待できないのだとしたら、少しの量を与えてそれを自分でやることができたという体験の方が子どもたちのこれからの学習への姿勢にプラスの影響があるのではないでしょうか。
 年齢が上がるにつれて少しずつ与える課題は増えていきますが、なるべく本人が負担に感じないように、取り組みやすいものを用意しています。
 例えば、漢字や計算パズルが大好きな子は、宿題は大好きな内容の課題にして、お家で保護者の人にどんなことをやったのかを言葉で説明してもらうようにしています。
 これに関しても、この年齢でここまでという教科書やカリキュラム中心で宿題を決めるのではなく、子どもの成長につながるものを中心に内容を考えます。

勉強=楽しくないものと思っている子どもたち

 たまに算数の計算などを使ったクイズをします。すると子どもは楽しそうに取り組んでくれるのですが、不意に子どもから「これも勉強なの?」と聞かれたりします。
 クイズの中には計算をしたり、いろんな条件を頭に入れながらどの数字から使っていくかなど考える力を養うものになっているのですが、子どもたちはワクワクしながら集中して解きます。
 きっと、勉強というものが苦しい、我慢しなければならないものだと感じた経験があったのかもしれません。
 私が「授業がなくたって、みんな生きているだけで勉強だよ」と言うと苦笑いする子どももいます。勉強=苦しいものというイメージを少しでも和らげられたらと思います。

子ども一人ひとりに合った指導法を考える

 全ての子どもに通じる指導法は存在しません。
 子ども一人ひとりに合った授業の進め方、言葉の掛け方をこちらで考えて、子ども達が楽しく継続的に、そして確実に日本語の力が上達したと感じられるサポートを心がけております。そのために、教材をうまく活用します。
 もちろん、こちらの思いを上手く子どもに伝えられない時や、私の指導法が合わないこともきっと出てくると思います。
 しかし、私の指導方針に合わないと考えるのではなく、その子にとって今必要な教育的アプローチは何なのかを、常に自分に問いかけながらこれからも子ども達の学習を見守っていきたいと思います。

自分の性格にあった指導法を見つけることが大切

 指導法やアプローチを考える時、どれが一般的に優れているのかという話ではなく、自分にはどのアプローチが合っているのかを考えることが大切だと思っています。
 一人ひとりの個性が違うのと同様、それに合った教え方も異なってきます。
 講義だけで子ども達に深く考えさせるスキルを持つ先生もいれば、巧みにいろんな活動に展開していくのがうまい先生、フィールドワーク主体でがんがん外に出る機会をくれる先生など、いろんな先生が子どもたちにいろんな方向からアプローチをかけるからこそ、子どもたちはたくましく成長していくと思います。
 だからこそ、子どもたち一人ひとりを大切にできる教育のあり方を私なりにこれからも考えていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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