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『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第5章実践【289】

 この本では、これからのあるべき学校教育のあり方について、産業化時代に生まれた学校制度を新しく作り替えるために必要なマインドセットや環境設定に関する情報が豊富に用意されています。


構造的緊張

 構造(創造)的緊張とは、目標や願望と今の現実の対比から生まれる緊張状態です。それを正確に把握し、スキルを発達させて目標に近づくためにどうすれば良いかを考えることができます。

うまくいかない状態と向き合えるか

 その際には、自分の中にある「規律」を確立し、構造的緊張の中でも、不愉快な状態に落胆したり後退することなく前進することができます。自身の目標に向かって、うまくいかないことが自身を鍛え前進を助けるという考えをもつことができれば、うまくいかない状態への耐性と乗り越え方を身につけることができます。

 教員がこのような構造的緊張の仕組みについて理解できていないと、子どもたちがうまくいかないことで感じる失望から守ろうとします。こういった経験を通じて、子どもたちは目標に向かって試行錯誤することの重要性に気づきます。しかし、うまくいかないことから遠ざけられるように監督されると、子どもたちも失敗から遠ざかろうとします。そして、自身の失敗の経験がないために、チャレンジしようとする姿勢も回避してしまうかもしれません。つまり、成長の機会を逃しているということになります。

「どれ」ではなく「何を」したいのか

 子どもたちは目の前の課題向き合っている時、その先にある願望や夢について考える機会に目を向けることも重要だと考えられています。また、どれが良いかというよりも、何をしたいのかを問うように心がける必要があります。
 学校の中には、受動的にさせる場面がいくつもあります。大人が求める範囲にとどめたり、他人が求めるものに合わせるようになってしまうと、いざ「あなたは何をしたいのか」と聞かれると応答に困るようになります。

 子どもたちは学校に入るまでは、いろんな角度から考えたり積極的に意見を言えたりしますが、小学校に入ると自分から意見を言わなくなるというのはこういった背景が影響していると考えられます。

事実を受け入れるために

 構造的緊張について、現実でうまくいかないことがある時、嘘をついてしまうことがあります。現実を捻じ曲げて伝えるというのは、ひどくなると自分自身が感じる現実も捻じ曲げるようになってしまいます。こうなってしまうと、現状を正確に捉え、目標に必要なことは何かを永久に見つけられなくなってしまいます。そのため、必ず子どもに対して嘘をつくという行為は避けなければいけません。
現実を捻じ曲げるのではなく、現実を変化させるために何が必要かと考えることに目を向けさせる必要があります。その時に、子どもたちにはまだ見えていない前提や世界観というレンズを通して見ることも伝えることが重要だとされています。

 学習においても、現在の状況を自分で評価する能力を高められるようにすると、現実の捻じ曲げに陥る危険性は低くなります。現実を捻じ曲げることは、問題解決から遠ざかってしまうので、現状を評価するスキルは必須になります。

自尊心という罠

 近年では、自尊心や自己肯定感など、子ども自身が自分を認めているかどうかについて注目されるようになりました。しかし、本書では「人生で成功するためには、高い自尊心をもたねばならないという考えが正しくないのは明らか」だと述べています。

 歴史上の人物の伝記などを読むと、「大半は自分の能力に深い疑念をもっていたにもかかわらず、自分の願望を実現し、世界に影響を与える人となった」ということが示されています。
 自尊心を重視し、何かを創り出すときに自分自身に焦点を合わせすぎると、うまくいかない自分に意識が向き過ぎてしまいます。こういう状況では、目標に突き進むために無我夢中で目の前の課題に没頭できることも重要です。
また、何かを達成したいというものがあればそれに進むことができるものの、それを見つけることができないために「無関心でやる気がない」と言われることがあると考えられています。

選択する機会とフィードバック

 人生において「よい選択をする確率が高い人」について考えたとき、それまでにどれだけ選択してきたかによるとされています。幼い頃から自分で選択するという経験をすることで、その時に得られる結果からフィードバックを受けるという経験をします。そのため、大人から見ると失敗する可能性が高そうな方でも、子どもに選択させて自分で考えさせる方がその後の人生において良い選択ができるようになっていきます。子どものうちに失敗させないようにと思って大人が選択することばかりしていると、いずれ来る大切な選択の機会が訪れた時に、考えて選ぶことができなくなってしまうのです。

宿題という野獣

 私たちは、「宿題を子どもたちにさせることが学力の向上につながっており、宿題を出さない教員はあり得ない」と考えがちだと思います。このようにな宿題における一般的な捉え方と、現実的な問題について考える必要があります。

 「宿題を出せば学習を習得できるのか」という観点において、実際には親は苛立ち、子どもは退屈するという構図があります。苦手な子にとっては、後から分かるようになるかもしれないにも関わらず、分からないというイメージを強くする危険性があったり、既に理解が進んでいる子にとっては退屈なものでしかなくなります。量をたくさん出されていないと不安になる大人も一定数いるようですが、「少ないからこそ多くが得られる」と考え、宿題の量を減らして質を上げることを重視する方が良いと考えられています。

宿題を意味あるものにする

 宿題そのものが悪影響をもたらすわけではありません。学習効果を高めるためにどうあるべきかを見出すことが必要だとされています。本書で紹介されていたことを簡単にまとめると、「宿題の目的が明確に示されているか」「どういったスキルを強化しようとしているのか、1つのスキルもしくは複数なのか」「教室での学習との関連性」「多様な学習スタイルと関心を反映しているか」「生徒の提出したものに対する教員の反応はどのようなものか」「課題の意味は、生徒の経験や今の生活との関係はどこにあるのか」「課題について生徒や保護者と対話ができているか」
 最後に本書では、宿題というものは「多くの答えではなく、多くの問いを生み出すべき」だと述べられています。処理的な学習以外にも、自ら考え出すような課題も取り入れることで、子どもたちは宿題をより効果的に取り組めるようになるのかもしれません。

学習としての評価

 学習における評価というのは、無くすべきだという主張が一部では見られますが、評価があることで学習がきちんと進んでいるかを確認できるので、評価をなくすのではなく、評価のあり方について再び問う必要があります。

 しかし、近年は評価が先行しすぎて、評価のための学習になってしまっています。そのため、「評価が学習を阻害するものではなく、学習を強化する形で行われる限り有意義なもの」として考えなければいけません。
 成績の平均を60点にしないといけないから問題の難易度を必要以上に調整したり、授業内容とテストの内容が合っていないということになると、これは評価が学習を阻害していると考えることができます。

統一テストの弊害

 「統一テストを受ければ学力が向上する」という期待は、空想に過ぎないようです。結果が即時に得られないということ、達成度という標準的な指標との差が示されることで不必要な劣等感を抱かせるなど、考える学習とは反対の効果があると考えられています。
 学習というのは、生徒の得意な部分からスタートし、向上すべきとされる部分に向かって進むものと考えるべきだと述べられていました。

よい評価とはどのようなものか

 これまでの人生の中で、評価が実際に役立ったと感じるのはどのような時であったかを考えてみると、学校ではあまり行われなかったと感じる人が多いのではないでしょうか。
 そこで、本書ではよい評価の性質としてまとめられていたので、ここでも簡単にまとめておきたいと思います。それは、「評価が遅くならないこと」「生徒と定期的な話し合いの場あって、フィードバックできること」「評価が率直なものであること(特定の人に有利になるようなものでない)」などが挙げられています。

振り返りの機会

 自分で学習を計画、全体の進捗状況を把握(自己管理)し、自分の学習について評価・批判的な見直しや意見交換(自己評価)をした後に、フィードバックを基に、自分の学習の進め方を修正し最善の準備に向けて進む(自己適応)できるようにする機会が必要だとされています。

 現在は、こういったスキルは自然に身につくものではなく、学校教育の中で身につけるべきものと考えられています。学習については知識を伝達するような授業形態はもはや求められておらず、自ら学ぼうとする時にどのように進めていけば良いのかという一人ひとりの学習スキルを鍛えることが求められています。つまり、子どもたちを自立した学習者にするためには、教員自身も学習者であることが必要なのではないでしょうか。

 PDCAサイクルのように、目標の明確化、計画と実行、評価と検証、行動の修正というループを自分で作れるようにサポートし、評価自体を全て他人に丸投げしてしまうようにならないように、自己評価をするためのアプローチをすることで、「自分の進歩について、自分で判断を下し自分で管理する」ことができるようになります。

評価に必要なマインドセット

 産業化時代の教育観をもった教員は、子どもたちの間違い探しをします。まずはこの視点を長所探しに視点を移すことが重要だとしています。例えば、作文の間違いを探そうとすると「こんなの読めない」という判断をしてしまいます。しかし、「何が書かれているか」に注目すると作文の中にある子どもの声を発見できるようになると書かれていました。この観点をもてるかどうかで子どもたちへの声かけはかなり変わってくるように感じます。
 教員は、子どもが「うまくやらなかったことではなく、やったことに目を向け、次のステップでは何が力を伸ばすかという観点から気づいたことをコメントできるようになる」と書かれています。つまり、私たちが「自分ができること」に目を向けるようになると、子どもたちも同じような見方をするということです。

 ここでは、制服の導入に関する事例も紹介されていますが、制服を導入することで成績が上がるという捉え方に疑問を呈しています。成績の向上が本当に制服の導入によってもたらされたものなのかについての分析はできていないにも関わらず、道徳やテストの点が向上すると信じられていることが多いという指摘がありました。
 他にも、「等級評価」という、ランクで分けられた評価ではなく、自身の成長につながるフィードバックを重視すべきだという主張もあります。保護者は、自身が産業化時代の教育で等級評価を受けてきた経験があるために、そういった指標がないと不安になりがちです。そこで、教員と保護者が評価について話し合う場面も必要だということが書かれていました。

評価の目的を再考する

学ぶことが決まっている

 学校で行われる標準テストのために学び、良い成績を収めることが重視される時、子どもたちの学力向上への期待が上手くいったという形で手に入れることができるかもしれません。しかし、テストを重視するが故に失われる学校生活での豊かな学びの機会についても私たちは目を向けないといけません。授業内容が決まりきっている場合は、教室で起こる「生徒の反応や偶然の着想に応えるゆとりがほとんどない」ために、学習内容が子どもたちからどんどん離れていってしまっているような感覚を感覚をもたせてしまうことで、学ぶ意欲が削がれていってしまいます。

 またいろんな才能をもつ子どもたちを数値化できる学力でのみ測ることになり、その指標を満たせているかどうかだけで子どもたちの評価をしてしまうことになります。すると、教員も多様性よりも修繕や矯正といった観点で子どもたちを見るようになってしまうのです。
 統一テストが全て悪いわけではないのですが、現実の文脈として子どもたちの学びやそれぞれの教室で起こる発見や議論が学習に生かされるようなシステムを探求すべきだと考えられています。

評価は賞罰ではなく「各個人の成功」のために使う

 評価は学習において一定の役割を担います。努力する限りは自分が叶えたい目標を手にすることができるという信念をもち、自らの成長について喜ぶことができれば、子どもたちはよりのびのびと学ぶようになります。

 勉強して良い成績をとらないと将来苦労するというような「賞罰と怖れ」はある程度の機能はありますが、「自分が何を学ぶべき」で「それが人生にとってどんな意味をもつか」についての理解を深めることが、「社会で責任を果たす市民になる」には必要です。テストが終わればおしまいというような学びでは、社会の問題を解決するような次世代の子どもたちは生まれてこないと考えた方が良いかもしれません。

理知的行動

 アート・コスタが提唱する「16の行動」は、私たちの思考習慣がどの程度身についているのかを確認することができます。自らの思考についても俯瞰的に捉えると同時に、子どもたちにも思考習慣が身につくようにするためのアプローチをどうすれば良いのかということが見えてくると思います。ここでは各項目だけを載せておきますので、細かい内容については本書をご覧ください。

子どもの成長は「観察」によって測ることができる

 子どもの成長している証拠を見出すためには、よく観察することが最善の方法と考えられています。未知の問題に対処するには、知能だけではなく複数の能力(戦略的推理力、洞察力、知的忍耐力、創造性、職人的熟練)を動員しなければいけません。
 私たちは標準テストで子どもの能力を測るのではなく、「小さな出来事や子供が書いたり視覚的に表現したりしたものを集めて、その子供の自発的な行為を記録する」ことが良いと考えられています。つまり、他人軸の評価ではなく、その子自身の成長がどのように進んでいるのかということに焦点を当てるということです。

「16の行動」

1、忍耐強さ
2、衝動の抑制
3、理解と共感をもって耳を傾ける(自己中心主義の克服)
4、柔軟に思考する
5、メタ認知(自分自身の思考について考える)
6、正確さと精密さを追求する(「早く終わらせてしまう」からの脱却)
7、質問し、問題を設定する(人類を他の生物から区別する特性の1つ)
8、過去の知識や経験を引き出す(学習同士のつながり)
9、創造し、革新し、発明する(現状に満足せず努力する)
10、明瞭かつ正確に、考えて伝達する(正確な言葉遣いや文章の表現)
11、全感覚を使ってデータを集める
12、ユーモアのセンスを発揮する
13、驚きと畏敬をもって応える(自分で見つけるから答えを言わないで!)
14、相互依存的に思考する(他者との調和の中で物事を考える)
15、責任をもってリスクを冒す(不確実性の中で成功に近づく)
16、継続して学ぶ(知らないという状態を謙虚に受け入れる)

受け身は民主制には危険

 授業を聞いている生徒たちの表情は飽き飽きとしており、先生がずっと前で説明しているのをただ我慢して聞くというのは、多くの人が経験していることではないでしょうか。
 受け身の授業は民主制にとっては危険な態度です。学校側は、自ら考え行動するというトレーニングを学校教育の中で身につける必要があると強く心に刻んでおかなければなりません。

<参考文献>
・ピーター・M・センゲ他著、リヒテルズ直子訳『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』(英治出版、2014)

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