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『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第4章学習者を理解する【288】

 今回は、教室という空間で「学習者を理解する」ために必要な考えについてポイントをまとめていきます。


子どもの尊厳

 子どもたちは、一人ひとりが価値があり尊重されるべきだと考えられており、これには多くの人が賛同することですが、実際の子どもたちの状況はどうでしょうか。
 現在学校で行われている競争的な教育では、「自分は価値のないもの」だと言われるような場面がたくさんあり、そのような劣等感を背負いながら生きています。子どもはそのようなレッテルを貼られていて、教員も子どもは扱いにくいと感じてしまうという負の循環が起こっています。

 まずは当たり前だと思っていても、実際にはできていないことがあるかどうかを再確認する必要があります。
 子どもたちの観察は十分に行われているか、子どもたちが考えていることに理解を示そうとしているか、自身の活動が子どもの尊厳を奪っていないかを問いかけることが必要です。
 尊厳を自覚できた子どもは、リスクを冒して小さな失敗に立ち向かうことができます。そして、他の人も尊厳できるようになります。

マルチプル・インテリジェンス(多元的知能)

 本書では、「人生の課題に直面したときに耐えるためにもつべき知能」について紹介されています。それは、「言葉と言語、論理と数学、空間(芸術)、身体と運動、音楽、自然(環境に対する気付きや感度の良さ)、対人関係、個人の内面(内省)」です。
 私たちは「人はそれぞれ異なる知能の組み合わせをもつため、あらゆる社会的な環境において他人と共にスキルや長所を尊重し合わなければならない」ということを覚えておかないといけません。ある観点だけを見て優劣をつけるのではなく、お互いの得意な部分を出し合って助け合うことが大切だということを子どもたちに伝える必要があります。そのため、成績が一番大事だと思わないように、いろんなスキルが教室の中で発揮できるようにする必要があります。

『規律ある精神』

 ハワード・ガードナーが著したこの本は、教育者に勧めると書かれていました。学校という場所は、良い成績をとるために学ぶところではなく、科学や歴史、数学、芸術などの学問領域の考え方に沿って考えることの意味を教えることを重視すべきだとしています。
 日常生活では何となく感じることを、それぞれの学問ではどのように捉えるのかということ学び、より実用主義的な知識に近づくことが理想とされています。例えば、ホロコーストについて考える時に、歴史的な観点と倫理的な観点から合わせて考えることができることができます。また、環境問題についても科学的な観点と経済的な観点が重要だということがわかります。

9つの知能

 学習者の性質について、私たちは意識の奥底にある前提などを問い直すための対話や考える時間が必要です。子どもたちには、一人ひとりの個性と同様に能力も持ち合わせています。知能は9種類に分類できることを知ると、そういった理解がより促進されると思います。以下に引用しておきます。

①ワード・スマート(高いことば・言語能力)
 言語、作文、詩作、お話が得意
②ロジック・スマート(高い論理・数学知能)
 問題解決、演繹・機能的思考、記号を使った仕事、パターンを見つけることが得意
③ピクチャー・スマート
 視覚能力(図や絵画や彫刻)や組み立てる能力(物事がどう機能するか、バラバラになったり一緒になったりするかを理解する力)をもつ
④ボディ・スマート(高い身体・運動知能)
 スポーツをしたりゲームをしたり、ダンスや演劇や身体を動かすために身体を自在に使うことができる
⑤ミュージック・スマート(高い音楽知能)
 音質やリズムを聞き分けることに長けており、声や楽器や周囲の音声に対して敏感である
⑥ネイチャー・スマート(高い自然知能)
 自分の周りの環境をよく知り、環境に敏感で、植物や動物、自然環境とうまく触れ合うことができる
⑦ピープル・スマート(高い人材知能)
 他の人とどう協働すればよいかを知っており、他の人たちの気分や意図を理解できる
⑧セルフ・スマート(高い内省的知能)
 自分についての深い知識、メタ認知、また内省などが優れている
⑨フィロソファー・スマート(高い実存的知能)
 抽象的概念を扱うのが上手で、人間存在や他の複雑な問題がもつ意味について深く考える能力をもつ

 この中で、自分がもつと思う3つの知能を選択し、その3つを選んだ理由がわかるような日常生活の例を挙げること、もっとよくしたいと思う知能、
身近な人や家族がもつ知能がどれかなどを考えていく中で、9つの知能すべてを持つ人はいないことに気づくことができます。

障害は生徒か学校か

 近年、学習障害という診断が出されるようになりました。これは読み書き聞く話す、計算など学校が定めたスキル上での欠陥が起こっているに過ぎません。しかし、ここに診断と治療が必要だと考えられ、子どもに問題があるというレッテルが貼られてしまいます。

学び方がその子どもに合っていないという「システム側の欠陥」について再考されることなく、脳に損傷がある生徒や精神障害の生徒とも一緒にされてしまうという現状の中で、処方箋などの治療費がより一層膨らむという問題があるとされています。学習障害は、学校の学ぶ環境によっては問題なく進められることがあるっために、システムについて考え直す必要性も十分にあります。

欠陥から天賦の才へ

 子どもたちは弱点(できないところ)ではなく、天賦の才や社会に対して貢献できるものを見つけようという姿勢が重要です。できないところばかり指摘すると、その基準を達成するための訓練を受け、やがては患者のように何かをしてあげ続けないといけなくなってしまいます。
 それぞれの強みと弱みの両方を持ち合わせる人間は、強みを活かせるような環境で学ぶとその能力は発達していきます。保護者に子どものことを聞くと、欠けていることを書きがちになるそうです。そういった時に、弱みから強みに見るポイントを変えるための活動も紹介されているので、ぜひ実践してみていただきたいと思います。

子どもに伝わるシグナル

 大人が発したメッセージは、ポジティブなものでもネガティブなものでも子どもははっきりと覚えています。そういった言葉や態度は必ず子どもに伝わるものだと考えた上で、子どもたちが抱える問題の根源的な部分に目をやる必要があります。

何はともあれ、患者に危害を加えない

 これは、医療における基本原則としての考えとして述べられています。私はこの言葉を聞いて全くその通りだと思いました。何か効果的なことをしようとしてうまくいかないことは多くあります。それは、アプローチの仕方に問題があるときもあれば、適切なアプローチでも子どもの学ぶタイミングが外れてしまって効果が出ないこともあります。しかし、「余計なことをしない」というのであれば、すぐにでも実践できそうです。
 もし、子どもに何かを伝えたいと思った時は、人格に関することをいうのではなく、状況をそのまま伝えることでネガティブなメッセージの発信を防ぐことができると考えられています。

EQ~こころの知能指数

 数値としてスコアにできるIQとは異なり、子どもが苦難に立ち向かうための力としてEQがあります。テストの点数や成績の数値には示されない子供たちが持つ能力について、意識をしないと見つけられないものもあります。そのため、こういった観点で子どもたちを見るべきだと考えられます。

<参考文献>
・ピーター・M・センゲ他著、リヒテルズ直子訳『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』(英治出版、2014)

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