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難病になって人生が明るくなった


吉野に関しての記事はこちらから。


「若いのに病気かぁ、災難だったね」


私は現在22歳。
8年前の中学3年生の時に難病であるクローン病にかかりました。


クローン病は食道から腸にかけて潰瘍という口内炎みたいなものができる病気。

口内炎ができると醤油とか塩とか食べると染みるものってありますよね。


「痛い…染みる…これとこれは口内炎治るまで食べるの控えておこう。」


クローン病もそんな感じで潰瘍に悪影響なものは食べるのを控えましょう、みたいなことを言われるわけです。


なのでクローン病の治療では程度によりますが絶食療法があったり、症状がよくなった後も基本的に食事制限があります。


また体力も落ちて、長く眠らなくてはいけなかったり、疲れやすくなったり、人によって症状は様々。


そういう話をすると決まって言われるのです。「災難だったね」「可哀想に」と。


若いうちに病気なんて不幸だ


そう思われてるんだろうな〜と感じることが日々の中であったりなかったり。


人によって思うことはそれぞれ違うと思いますが、私は自分の状況を不幸だとは感じません。


むしろ自分がいかに幸福であるか気付かされることとなりました。


私は生まれてきてから何もできない人間として生きてきました。


勉強ができない、運動ができない、友達作りも上手くない…みたいな。


そんな人間だったので、自分に生きてる価値はないんじゃないかとか誰も自分のことなんて好きじゃないんじゃないかと思っていました。


親のことも好きでも嫌いでもなく、部活の顧問に「親に感謝しなさい」「周りの人に感謝しなさい」と言われた時も


「へいへい感謝しますよ〜」ぐらいに思っておりました(最低)。


ですが難病になったことがわかってからほぼ毎日仕事終わりにお見舞いにきてくれる母がいたり、


治療のために一旦ご飯を食べるのをやめてみましょうとなって、


唯一病院の人に「綿菓子とか飴とかは食べてもいいですよ」と言われた時父と母がいる前で綿菓子をむしゃむしゃ食べていたら

普段けろっとしてるのに隠れてこっそり泣いてる父がいたり、


そういう両親を見ていたら「あれ、自分結構愛されてるのではないかな」と思ったのです。


そのほかにも親戚がお見舞いに来てくれたり、部活の仲間が受験の時期なのにお見舞いに来てくれたり、


自分のことを気にかけてくれる人は思ったよりもたくさんいました。


そして後から思い返してみれば、病気になってから気にかけてもらったわけではなくて、


私の周りの人たちはずっと私を色んな形で気にかけてくれていました。それに私が気づかなかっただけなのです。


そして入院をして絶食をしたことで


普段なんとなく食べていたご飯、
イヤイヤ入っていたお風呂、
変わり映えのしない実家の自分の部屋、


その当たり前に存在していた光景がいかに幸せで感謝するべきものなのか、


なぜ顧問の先生があんなに口うるさく「感謝しなさい」と言っていたのか、私は病気になってやっと気づくことができました。


口で言われてもはいはいと聞き逃してしまう私、きっとこうやって実感する出来事がないと気づけなかったと思います。


周りの人への感謝の気持ち、当たり前と言われてることへの感謝の気持ち、


そう言ったことに気づけたのは病気のおかげなので私は病気になって不幸だとは思っていません。


病気にならなければよかったとも思っていません。…でも治りたいなぁとは思います(笑)。


病気になる前は自分のことが大嫌いでしたが、病気になってから自分のことを好きにもなってきました。


こんなにたくさんの人に支えられてできている自分、好きにならないわけないでしょ!みたいな。


基本的に世の中のほとんどのことに対して後ろ向きな私ですが、病気のことに関しては前向きです。


それは病気が私になんらかの気づきをくれることを知っているからです。


もちろん全ての人がこの考えとは思いませんし、こういう考えの人は少数だと思います。


ですがこんな考え方もあるんだ〜と思っていただければ嬉しいです☺︎


『学校嫌い、勉強嫌い、子ども嫌いだった難病患者の私が学習塾の先生になった』#3



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