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「やばいヤツ」研究 〜やばいヤツがやばいまま生きるには〜

今わたしが一番知りたいことについて話します。
尾崎翠さんはこれを「霞を吸って人のいのちをつなぐ方法」って言っています。多分ね。合ってるかは知らないけど、『こおろぎ嬢』は大好きな短編の一つです。

外出自粛でくすぶってnoteを始めてからはや8か月。もう大学三年生も終わります。初めてのnoteは、いつの間にかわたしの中にいた「見つめる男」こと「ミツオくん」との戦いの話でした。
恋人と別れようが髪をバッサリ切ろうが、ミツオくんはついてきます。就活を目前に、ミツオくん、どんどん巨大化してます。怖いです。いつか、ミツオくんのことも可愛いと思えたらいいな。

これを書いたとき、友人が「可愛いからそんなこと考えなくていいのに」と言ってくれました。ありがとう。でも、そうじゃない。なんで「そうじゃない」のかずっと疑問でした。それがやっと見えてきた。
わたしから見て可愛くない私を、可愛くないまま喜ばせたい。がんばって作った可愛さで生き延びるんじゃなくて、がんばらないブサイクのまま生きる方法が知りたい。それを伝えられなかったのが悔しかったんだと思う。

可愛くないまま生きるのは難しい。バカでものろまでもそれは一緒。可愛くなる方法も賢くなる方法もネットや本に溢れてるのに、ブスでバカなまま生きる方法は誰も教えてくれない。やばいヤツだと思われたくないから、やろうとする人がまずいないのかもしれない。やばいヤツは誰も相手にしないし、生きていけないから。
その事実、可愛くもなく賢くもない「やばいヤツ」予備軍のわたし的に超怖い。コロナに勝つ方法なんかより、やばいヤツが矯正される以外の方法で生きる術が知りたい。もちろんコロナに勝つ方法はマジで知りたいけど。こんなこと考えてるの十中八九コロナのせいだし。

そんな生存の危機を感じて、無意識にやっていた「やばいヤツ研究」をこれからちょっとずつまとめていこうと思います。
まずは、やばいヤツの定義として「やばいヤツの社会モデル」の話から。「メンヘラ」とか「あたおか」って言葉が流行ってるように、やばいヤツのやばさはその人の内側にあるって考えが主流だと思う。それで、矯正すべき(できる)ものと考えられてる。これを「やばいヤツの医学モデル」って呼ぶことにします。対して、スロープのない建物が「足の不自由な人」っていう障害を作り出したように、やばいヤツが環境や社会によって作られているって考えるのが「やばいヤツの社会モデル」です。やばいヤツを「社会モデル」で考えてみたらどうなるのか。やばいヤツをこらしめる今の風潮がかなり怖くなるんじゃないかな、って予想しています。お楽しみに。
お次は、公共の「やばいヤツ追い出し大作戦」について。ホームレスが寝る場所が減って、地上波や美術館の「コンプラ重視」が加速したらどうなるのか。これもだいぶ恐ろしいと思います。
あとは、コロナの「やばいヤツ」集中殺戮について。正直、この状況で生きられてる人間全員やばいと思う。けど、特にもともといた「やばいヤツ」の生息地が無残に散らかされてる現状を、怨念たっぷりに話したい。

「やばいヤツ」について話したいことはまだまだあるし、全部ごっちゃにしないと話せないかもしれません。でも、「やばいヤツ」がやばいまま生きていけないならわたしは死ぬ!って、今度はちゃんと伝えたい。最終的に、「やばいヤツ」の生息地を守るラムサール条約みたいなものができたら最高。

「やばいヤツ研究」、元気があるときにじっくりまとめていきます。お楽しみに。「やばいヤツ」過激派のわたしがどうなっていくか、わたしも楽しみです。

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