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ボディポジティブの実験①「キャミソール一枚で過ごしてみる」

自分の体と仲良くなるための実験その①

普段の部屋着でも上にTシャツかパーカーかを着るのだけど、今日はエアリズムのブラキャミソール一枚で過ごしてみようと思う。体を晒す面積が大きくなるとどういう変化があるか、という小さな実験。

まず、圧倒的に涼しい。部屋のドアをしめ切って授業を受けてみても、汗で服が張り付いて不快になったりしない。机に置いたミニ扇風機の風も、ダイレクトに肌に当たって涼しい。風を含んで冷たくなった髪が肩のあたりで揺れるのが、くすぐったくて愉快だった。

授業を受け終わったら、そのまま昼寝をした。寝巻に着替える必要もなく、そのままベッドに倒れ込んだ。肌とシーツが直接触れる感覚が懐かしい。幼稚園の頃は、寝たくなくてもこうやって昼寝してたのにな。心地よくて、20分だけのつもりが1時間も寝てしまった。今日はしょうがないか、と思った。

起きだして、お茶を飲むためにキッチンに入った。向こうのリビングには母がいる。「よく寝たかい?」と訊かれて、「とても」と答えた。作り立ての麦茶は熱くて、氷を入れないと飲めない。氷の入った冷凍庫を開けると、冷気がダイレクトに二の腕のあたりを直撃した。私の二の腕は脂肪が乗っているから、ちょっとの時間ですぐに冷たくなる。あとから触ってもひんやりしていて、保冷材よりよっぽど気持ちいいなと思った。

ただ一つ問題だったのは、棚の上のほうにあるコップを取るとき。ワキ毛をそっていないから、腕をあげるのが恥ずかしかった。誰が見るというわけでもないし、見たとしても母か姉だけなのに。前に友達とも話したけど、ワキ毛があることは恥ずかしいことだって、物心ついたときから刷り込まれているんだ。人はみんな美しい!自信持とうぜ!!とか言ってるけど、自分だって「可愛さ」の呪いから全然自由になれてない。

ここまでの実験でわかったのは、素肌をさらすのは快感だということ。露出狂的な意味ではなくて、外界をダイレクトに感じられるという意味で。爽やかで、生きている実感を伴う快感だ。あと、私は自分の脂肪とは仲良くなれても「ムダ毛」とは折り合いが悪いということ。これからは、彼らとも仲良くなりたい。

いや、そもそも「ムダ毛」なんて言ったら私の体毛に失礼だ。誰にとってムダなのか、さっぱりわからないんだもん。きっと毛のほうは理由があって生えてきてくれてるのだし、生やすにしろ抜くにしろ、髪の毛と同じように大事にしたい。

人に愛される体を作るより、自分の脂肪も体毛もまるごと愛するほうが難しいと思う。でも、私は後者ができる人をセクシーだと思う。私は「モテる人」よりも「セクシーな人」でありたい。

セクシーになるための実験は、これからも続きます。10年か20年経った頃にはなれるかしら。楽しみ。

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