俺と師匠の情熱seitai life season2 全身関節編 12
去年の6月、初めてセミナーに参加した時から先生とした約束がある。
「ヨシナリ、とりあえず1年休まずに仕事してみろ。そうすれば一週間でどの曜日がヒマかわかるようになる。それから自分の時間を作っていけばいい。」
もちろん家族の用事などで休む日はあったが、ほぼ毎日仕事。自分の用事がある時も営業時間が長いため半休にして予約が入るようにした。
ただ個人的な問題もあった。俺はギターを毎日弾くのが日課だったが、鎖骨を折って手術をしてからギターを立って弾くのが困難になり、チューニングする時の腕の角度で激痛が走っていた。整体の修行に専念するきっかけにもなったが、俺には趣味がギターしかない。ヒマな時間のモヤモヤを解消するにはもってこいの趣味だったからだ。
俺は14歳からエレキベースを始めた。
ニッキーシックスのようなロックスターになるのが夢だった。
最初はギターかボーカルになりたかったが、当時の不良仲間とのバンドではギターとボーカルはすでに決まっていた。
ギターは2人いて、ほとんど学校に来なかった親友と、鎖骨が折れた時に死んだ1つ年上のアイツ…。
毎日楽しかった。知らない音楽に沢山出逢った。みんなそれぞれ違う音楽を聴き、CDを交換しながら新しい扉を開く。
そして30歳になった時、やはり自分の音楽がやりたかった。コピーにはうんざりしていて、曲は沢山作っていたが再現できるメンバーは最後のバンドまで無かった。
俺はギターを弾きながら歌うことにした。
ギターも歌も始めたばかり、ハナシにならないから練習し続ける。それを10年続けた。
鎖骨が折れて手術をした後も、毎日レコーディングのためにフレーズを何十回もPCにへばりつきながら弾いた。肩と腕は限界を迎えたのだろう。メンバーがいなくなり、鎖骨の激痛に耐えながら重たいベースを抱えて歌ったことも…。
もう音楽はいいんじゃないか、お終いにしよう。
真剣に思った、ずっと音楽にしがみついていたかったけど…。
そして音楽活動を中止した。
ギターが弾けなくなったことで諦めもついた。
先生と初めて会話した時のメール
「自分の仕事でロックスターになれるんだよ。死ぬほどクライアント集めて、死ぬほど施術して、感覚磨いたヤツしかそこにはたどり着けない。ヨシナリもやりきろうぜ!」
先生は中国のセミナーから帰ってきたばかりだった。
カナダ、アメリカ、台湾、ロシアからもオファーが来る。まるでロックスターのワールドツアーに見えた。
1番好きな音楽を辞めることで整体の修行に専念できると思っていたし、心の中では常にどこかで離れたいと思っていた。
音に楽しいと書くが、楽しい時間などほんの一瞬。
その数秒の一瞬を感じるために何時間も何日もかけて創作して手に馴染ませ、あたまとココロを繋いで感情や情景を歌う。出来上がるまでの期間は数年かかることも多いし、その期間は楽しいことなど1つもない。
全ての物事に共通する。その苦しみを乗り越えたヤツにしか一瞬の恍惚感と達成感は味わえないのだ。
長いトンネルを抜ける時に見える、一筋の美しく繊細な光の屈折が織りなす一瞬の光景のように。
つづく
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