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他者の靴を履く【読書のきろく】

他者の靴を履こうとする試みは、自分自身と向き合うことに通じる

地域でお世話になっている方に借りた本。
「吉村さんならどう読むか、聞いてみたいです。」
そんなことばと共に届きました。

この本は、2019年に出版された『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で、読者からの反響が大きかった「エンパシー(他者の靴を履くこと)」について掘り下げられています。僕も、去年読んだ時にそのフレーズを取り上げていました。

「エンパシー」は、「シンパシー」と比較して語られることが多いようです。共に日本語では「共感」と訳されることがありますが、本来は性質が違う。
そこで、英英辞書で確認した言葉の意味の違いが記されています。

エンパシー ・・・
他者の感情や経験などを理解する能力

シンパシー ・・・
1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為
3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

p.14より

エンパシーは能力で、シンパシーは感情や行為や理解。エンパシーが能力である以上は、身につけるまでの期間は、ある程度意識して思考や行動を切り替える必要があると言えます。
さらに、エンパシー自体にもいくつかの種類があることが定説になっているそうです。エンパシーに対する良し悪しの判断も両方あるだけでなく、いいものでも悪いものでもないという意見もあり、それだけ奥が深い。

エンパシーとは複雑なスキルであり、まず他者の感情はあくまで他者に属するものであることをわきまえ、他者の経験を想像するときに自分の解釈を押し付けないことが必要である。
(中略)
エンパシーの習得は一生かけたプロセスなのだ。時代が変われば社会状況も変わるので、エンパシーを働かすときに使う知識も常にアップデートされなければならない。「これでできるようになった」という習得完了地点は、エンパシーにはないのである。

p.251より

こう語られるのを目にすると、気持ちが引き締まります。


たくさんのページに付箋をつけ、振り返ってみて印象にのこったものをふたつピックアップしてみます。

まずは、エンパシーを難しく感じてしまう要因に対する、著者の指摘のひとつ。
僕たちは、小さい頃から、「相手がどう感じるか?」を考えることの大切さを学んできたはずです。しかし、多くの場合、それは叱り文句の一部として、問い詰めるように使われます。
「こんなことをしたら○○ちゃんはどう感じると思うの?」、「○○ちゃんの立場に立って考えてみなさい」と。僕も我が子に言っていました。
そう問い詰められて、ふてくされながら言う(言わされる)のは、当然、相手のネガティブな気持ち。その積み重ねが、他者の感情や経験などを理解する能力であるエンパシーを曇らせてしまうと言うのです。納得しました。

そんな使い方をせず、できれば平常時や嬉しい時など、叱りたくなる場面ではないところで、他者の気持ちを想像するような働きかけをしていきたいと思いました。

もうひとつは、「自分を手離さない」という考え方。

ジェンダーと呼ばれるものや、職業的な属性にとらわれない、自分自身がどうであるかをしっかり持つ。おそらくこれは、言葉で見るよりはるかに難しいものだと思います。
「他者の靴を履く」ためには、自分の靴を脱ぐ必要があります。では、自分はいったいどんな靴を履いているのか。

エンパシーの習得完了地点がないのと同じで、自分は何者かの問いも、終わりがないのかもしれません。でも、これは、いつまでも探し求めるのともまた違う気がします。
常に、自分がどうなのかを、自分で決める。決め続ける。

自分がどうなのかを知るためには、他者の存在が必要で、どちらが先だとか優劣で考えるのではなく、問い続けるものではなかろうかと思いました。
他者のこともそうだし、エンパシー自体も、分かった気にならないようにしたいと思います。

読書のきろく 2021年57冊目
『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』
#ブレイディみかこ
#文藝春秋

#読書のきろく2021

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