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ゆっくり、いそげ【読書のきろく】

書くンジャーズ仲間、西嶋さんの投稿で知った本。『ゆっくり、いそげ』。
気になって、図書館で予約して読んでみました。

著者は、東京都西国分寺市にあるカフェ「クルミドコーヒー」の店主。お店の立ち上げから、お店で提供するものの生産者やスタッフとの関係、そして何よりお客様とどう向き合ってきたかが綴られています。「人を手段化しない経済」と副題にあるように、経済的なやり取りの中にいかに人の心の交流を取り込めるか、という姿勢は、共感でき、勉強になり、とにかく、すごく心惹かれました。

「できるだけ時間と労力を削って、効率よく売上を上げる」と対極にある、「時間と手間をかけて、受け取った人に喜んでもらう」の視点。ただし、それがごく少数しか登場しない身内ネタのようなビジネスだったら、経営は続けることはできない。「特定の価値観に共感してくれて、かつ多数であること(特定多数)」の大切さも語られています。
個人で仕事をするとき、その仕事を継続させたいと願うとき、何度も繰り返し問いかけたいと思いました。

また、経済や経営が軸となるテーマだけど、通じていると感じたのは、地域のこと(実際、地域のことも、ところどころで語られています)。地域でのつながりの希薄化が叫ばれている現代。生活している地域で、そこに住む人と心地よい関係を築いて心地よく暮らすには、「特定のその人」を意識できるかがポイントになりそうです。特に心に響いたのは、「受け取るを意識化する」というアプローチ。

「ぶんじ」という名の地域通貨の事例を紹介されている部分から、少し抜粋します。

「ぶんじ」を二年半やってきて思うのは、これは「受ける」ことを学ぶための道具かもしれないということだ。
例えば挨拶を思い浮かべると、「挨拶しましょう」と教えられることはあっても、「挨拶にはちゃんと応えましょう」と教えられることはあまりない。
~中略~
「ぶんじ」は「受ける」ことを明示化する。(略)もちろん誰もが日々何かしら受け取っていることは事実なのだろうけれど、それが明確な意思下に置かれることは少ない。
>本文 p.122、123 より抜粋

コンビニ、ネット通販、駅の自動改札、銀行の自動引き落としなど、僕たちの生活に必要なモノは、贈り手がどんな人なのかを意識せずに受け取ることができます。どこかで必ず人の手が介在しているのに。
それは、商活動だけでなく、地域での生活にも、当てはまっていないでしょうか?
親がずっと一緒に居なくても、子どもだけで毎日安心して学校に通っている。災害が多かった川が、整備されてここ数年氾濫の危険を感じたことがない。駅から家までの路地は、街灯があるから夜でも一人で帰ることができる。毎週、決まった曜日の夜に、火の用心の拍子木の音が聞こえてくる。
僕も、言われなければ、数年前まではまったく意識することなく過ごしていました。今は、たくさんの人に、知ってほしいと思うようになっています。そこに気づいて、感謝の気持ちを持つのは、「挨拶にはちゃんと応える」と似ている気がします。

地域のことから、また商活動にもどって、自分が提供したサービスに、そんな風に誰かの気持ちが応えてくれたら、それは嬉しいです。そして、「お互い様ですね、ありがとうございます。」という交流が生まれそう。

そんなことを考えさせられた本でした。
僕が地域のことと強く結びつけたのは、今の興味関心がそこにあるからだと思います。また違うことに興味が向いているときに読んだら、その時に探していた答えやヒントを見つけられそうな気がします。

個人で何らかのサービスを提供している人、ボランティア活動に興味がある人、地域とのつながりを育みたい人、そして、自分にとって大切な人に、オススメしたくなる一冊です。

読書のきろく 2021年3冊目
「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」
#影山知明
#大和書房

#読書のきろく2021

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