[想像に眠るあなたへのメッセージ]幸せ貯金
幸せ貯金
息することさえ辛い。人生のどん底だ。僕はどこに向かっているのだろうか。
濁った飲み屋街の空気は、吸うと吐きそうだ。久しぶりに参加した会社の飲み会で、つい飲みすぎてしまった。グラン、グランと地面が波打つように揺れ、どこに向かって歩いているのか、さっぱりわからない。
とりあえず、気持ちが悪い。どこかに座って休むべきだろうか。座ってしまったら、今夜はもう家には帰れないだろう。
神様は、俺を不幸のどん底に落として嘲笑ってでもいるのか。自分が惨めで笑いが出てくる。
「は、は、はは、、、ひでーな。」
三ヶ月前に母が亡くなった。十年も続いた母の闘病生活は、母も俺も苛立ちのぶつけ合いで、ただただ心穏やかに母を支えられなかった俺は、自分のことよりも他人を優先してしまうような優しい母の息子でいる価値がないと痛感させられた。
俺が3歳の頃から女手一つで育ててくれた母に、「母さんは何も心配しなくていいから、体がよくなることだけを考えて。」と、21歳だった俺は、『自立した立派な男』として母を支えようと決めた。
上司から認められるように、残業代が出なくても、精神的に追い詰められるような理不尽な仕事でも、全て請け負って、がむしゃらに働いた。
働いて、働いて、結果を出すことで、俺の存在価値が与えられていった。
それなのに、母を亡くし、働く理由を失った俺は、張り詰めた糸がプッツンと途切れたように、働く意欲がなくなった。会社に行くことが、辛くてしょうがない。肩書き欲しさに必死になっていた自分がバカバカしい。
肩書きが手に入ったからって何なんだ?、俺は幸せになれるのか?体調が悪くても気分が乗らなくても、一生懸命に働くことが、俺のやりたいことなのか?こんな人生でいいのか?このまま生きている価値はあるのか?
どうしよう、母さん。不幸のループを抜け出せない。
「あー、疲れた。どこだ、ここ?」
フラフラする体を電柱で休ませながら、ポケットからスマホを取り出した。
その時、突然、背後からきた自転車が、右肩に豪快にぶつかってきた。
「痛って。」体がグルンと180度スピンする。自転車は、俺に見向きもせずに、暗闇に消えていった。
「なんだ、あの奴、わざとぶつかりやがって。」
数メートル先で青白く光っているスマホを拾いに行くと、何件か先に火の灯った赤い提灯が吊るされているのが目に入った。
「こんなところに居酒屋か?」
よく見ると『幸せ銀行』と書かれていて、奥には、住宅街には似合わないガラス張りのオフィスがあり、こんな夜中だというのに、数人の客がいた。母が残したわずかな財産をどうするべきか悩んでいたし、怪しさを疑うことなく店内に入っていった。
「いらっしゃいませ、こちらにお掛けください。」と、入り口に一番近いデスクに座っていた女性が立ち上がった。僕が座るとすぐにパンフレットを目の前に置き、「幸せ銀行にお越し下さいまして、ありがとうございます。えーっと、三浦 遼太郎さんは、現在こちらの、旧式、掛け流し『幸せメーター』をご利用になられていますね。」と、パンフレットをトントンと指で叩いた。
「まずは、こちらをご覧ください。」と、右手を僕の目の前にかざすと、目が開けていられない程の強い光が放射線状に広がった。
一面真っ白な部屋の真ん中で、僕は、裸で体育座りをして、小さな風呂に浸かっている。肩まであったはずのお湯が少しづつ減ってきているような気がするし、湯量を測るものなのか、浴槽の淵に置かれたメーターの針も少しづつ動いているような気もする。
銀行員の女性は、浴槽の横に膝立ちになり、メーターを持ち上げると「こちらが『幸せメーター』です。」と、話し始めた。
「これは、浴槽にたまる湯量を計ると同時にあなたの『幸福度数』を示しています。『空(カラ)』に近づく程、不幸と感じ、『満』に近づく程、幸せと感じているという事です。お風呂好きの三浦様には、私の言っている意味がお分かりですよね。肩までゆっくりと浸かるお風呂は、最高に気持ちがいい。
このメーターで測っている幸福度数は、『世間的な価値』を基準に決めています。例えば、肩書き、経済力、容姿、最近で言うとSNSのフォローワー数など一般的に優劣を付けられやすい事柄ですね。えーっと、あとは、他人任せにしたあなたの価値、評価なども『世間的な価値』とも言えるでしょう。
お気づきにはなられましたでしょうか?この浴槽の栓は抜けたまま、と言いますか、栓が元から付いておりません。ですから、結果を出し、評価され続ければ、お湯は蛇口から出続けますが、そうでない場合は、お湯が止まり、浴槽はすぐに空になってしまうのです。
この旧式のメリットは、「幸」「不幸」の二極しかないので、とてもわかりやすいという点です。あなたが思う『ポジティブな評価』で、大量のお湯が出るのだから、努力するベクトルは決め易いはずなのです。
デメリットは、浴槽が空にならないように、常に人の目と評価を気にしながら、緊張状態でいなければいけない点です。それに、同じ仕事をしていては、いい評価を受け取り続けられませんからね、「もっと、もっと」と、終わりなき努力を続けなければいけません。
このメーターは、世間一般的に言われる幸せ像や、三浦様が勝手に作り上げた想像上の幸せ像、その虚像にあなたの幸せの指針を無理やり合わせにいって、幸福度を測っています。はっきり言って、勘違いメーターと呼んでもおかしくないですね。このメーターを持ってると、自分の価値や評価が自分の幸せに直結ですから、他人が付けたクソみたいな価値でさえ捨てるのが怖くなるんです。
あ、ごめんなさい。昔を思い出して、つい。もう何年も前に別れた夫のことなんですけどね。『家事を完璧にこなせないようでは、妻としての価値がない。』とか『赤ちゃんを泣き止ませられないようでは、母親としての価値がない。』とか、そんな、理不尽すぎる妻として、そして母としての価値。バカみたいだけど、当時の私は、「そんな価値しかなくても、せっかく付けてくれた価値を全うしなければ。」と思い込み、クソみたいな価値でさえ、捨てられずにいたんです。あ、すみません。また口が悪くなってしまいました。でも、正直なところ、私も彼に価値をつけていましたしね、お互い様です。私も彼も、価値をつけあうことが幸せであり、愛であると勘違いしていた訳です。
そうそう、一つ勘違いして欲しくないのは、肩書きや学歴、他人からの評価、そういうこと自体が問題だと言っているわけではなくて、それは、社会を生きる上で向上心につながる事だし、必要なことなんですよ。だけど、それが、幸せと不幸に直結していたことが問題だったのです。ですから、今回、ご紹介したいのは、こちらです。」そういって、今度は左手を差し出すと、また、目の前に大きな光が広がった。
風呂に浸かっていたはずの僕は、どういうわけか、またスーツを着て、真っ白な部屋の真ん中に立っている。
『カコン』と部屋中に響き渡る音にビックリして振り返ると、日本庭園でよく見かける石造の池と名前はわからないが、『カコン』と音を鳴らし水を落とす竹があった。
銀行員の女性は、池の横に立ち「こちらに、来ていただけますか?」と手招きしている。
「こちらが、最新式 循環『豊かな池』です。」と言って手をかざした先にあったのは、鯉が泳いでいるような小さな池じゃなかった。向こう側が見えない程の巨大な湖。竹筒も、高層ビルのように巨大化し、僕は気持ちのいい風が吹く大自然の中にいた。
突然、『ザーッ!』っと、雲一つない青空から竹筒に向かって大量の水が落ちてきた。
「うわっ!びっくりした!」
「あ!驚かせてすみません。まず、この『豊かな池』の仕組みを説明させてください。旧式は、あなたの外側で起こることが要でしたが、最新式では、あなたの内側が要となっております。先程の大量の水が、どうして落ちて来たのというと、『心の動き』があったからです。喜びや悲しみなどの感情による『心の動き』で、水が降ってきます。涙って心の汗っていうじゃないですか、そんな感じです。
長い人生、生きていれば、水の上を軽やかにスキップできる日もあるし、冷たくて真っ暗な深海の中を這うように進む日だってあるのです。その波打つような心の動きが、私たちの人生を豊かにするのです。
考えて、みてください。何にも困ることはないけれど、好きも嫌いもない。いいことも悪いことも起こらない。心に動きがなかったら、あなたの人生はつまらないものにならないでしょうか?心を動かすことが、あなたの人生を豊かにしているのです。だから、いいんです。「辛い」と思っている感情もどうぞ落としてください。辛くていいんです。それもあなたの一部なんです。
どんな感情の水であろうと、一旦、竹の鹿威しに落ちます。そして、その感情を納得し受け入れられるようになるまで、水は竹の中で浄化し続け、落とし込める状態になった瞬間に『カコン』と音を鳴らして豊かな池に流れ落ちるのです。だから、この豊かな池は、あなたの心を豊かにする水しか受け付けません。
枯渇しないこの豊かな池は、豊かな水を循環し続け、あなたを一生、潤わせ続けてくれるのです。旧式のように、水量が減ることを常に恐れながら、体を小さく丸めて入る浴槽ではなくて、この無限に続く最高に気持ちがいい池で、自由に泳ぐことができるんです。」
「あ、そうだ!池の中、のぞいてみますか?」と、スッと懐中電灯を渡された。すると、急に日が落ちて辺りが真っ暗になってしまった。
「え?真っ暗で何も見えないんですけど。」
「当たり前ですよ。
どこを照らしているんですか?」
「え?」ふと、手元を見てみると、僕が照らしているのは湖の向こう側、はるか遠くだ。
「三浦様は、まだ旧式をご利用ですから、あなたの豊かな池は闇に置き、池の外側ばかりを光で照らして、そこに豊かさを見つけ出そうとしているんです。どういたしますか?池の中を見たいですよね?今すぐ、最新式にアップデートしましょうか?」
「あ、は、はい、おねがいします。」
「ありがとうございます。では、さ。。」銀行員の女性の声に、突然、雑音が混じり、聞こえづらくなってきた。
聞こえてくるのは、車の音や鳥の鳴き声。そして、「遼太郎、起きなさい。風邪引くわよ。」と、俺を起こす母親の声。はっと目を覚ますと、誰かが俺の肩を力強く揺らしている。
「兄ちゃん、こんなとこで寝てたら風邪ひくよ。 起きろ。」
「え?」
作業着を着た、中年のおじさんが俺の肩を揺すっていた。眩しい朝日が照り付け、うっすらしか開かない目で周りを見渡すと、ウチに程近い、赤提灯が目印の銭湯の前にいた。
おじさんは、「これ、キミのか?そこの電柱の横に落ちてたぞ。」と携帯電話を俺に渡して、「早く家に帰れよ。」と左手を上げながら去っていく後ろ姿は、なんだか昔みたことがあるような懐かしさがあった。
「あ、ありがとうございました。」と、遠ざかっていく背中に向かって叫ぶと、銭湯前に置かれていた小さな石鉢に『カコン』と、水が流れ落ちた。
ー終わりー
幸せ貯金〜あとがき〜
先日、目にゴミが入り眼球が傷ついたせいか、強烈な違和感と痛みを感じ、直ぐに目は真っ赤に充血し始めた。光を見ると目が眩んでしまうほど、光に弱くなり目を開けていられなくなってしまった。当たり前に見えていたものが曇って見えるし、当たり前に出来ていた普段の生活にも支障がでる。
「無くなってからわかる有り難み。」
そう、目が見えるということが、当たり前になってしまっていたからこそ、強制的に不自由にならないと、感謝できなくなってしまっていたのだと思う。
当たり前の事は、あって当たり前で、感謝するべきようなことでもないし、自分を満たしてくれるようなものではない。私を満たしてくれるものは他にもっとあるはずだと思ってしまっていたのも事実。
他人と自分を比較して、「もっといい生活がしたい、もっとお金が欲しい、もっと有名になりたい、もっと社会的に地位が高くなりたい、もっと、もっと。」と外側にばかり気を取られ、素晴らしい物事が自分の手の中に入ってこようとも、「次は、これが欲しい。次、次」と、浴槽の排水溝の栓が抜き取られた状態の所に、お湯を大量に出しっぱしにしている状態。
心の浴槽を満たす為に、せっかく手に入れた物事たちは、どんどん飽きられ、抜き取られ、いつまで経っても満杯になることはない。
側から見れば、「栓が抜けてるんだから、お湯が貯まらないのは当たり前。」と簡単にわかることでさえも、流れ出るお湯しか見ていない本人は全く気づけない。
「どうして、あんなに頑張っていたのに、私は未だに心にぽっかり穴が開いていて、幸せを心の底から感じられないのだろう。満足って何?」って気づいた時には、きっと、当たり前に出ていたお湯が止まってしまった時。当たり前に出ていたお湯が、どれだけ大切だったのか知らされる。当たり前になりすぎて、いたわる事を忘れ、感謝もせず、そこにあることが当たり前だと思っていたことに後悔するかもしれない。きっと、そうなってしまっては遅すぎるのであろう。
話を戻し、先日の目の話。目を洗い、目薬を頻繁にさしていたおかげでもあると思うけれど、寝る前に目を温めるように、瞼に手のひらを置き「いつも、私が見たいものを見せてくれてありがとう。私の家族の笑顔を見せてくれてありがとう。これから、もっと見たい世界があるんです。これからも、よろしくお願いします。」と心の中で呟いて眠りについた。
次の日の朝。なんと、スッキリ元通り!旦那が眼科に行こう!と騒ぐ程に、真っ赤に充血していた目があっさりと治るなんて奇跡のような出来事。
当たり前なんてないし、私の心も体も、私の周りに存在する人、物、全てが有り難くて、素晴らしくて、私を満たしてくれる幸せの水なんだと教えられているようだった。
全ての存在や身に降りかかる全ての出来事が、心の湖を潤す幸せの水でしかないと思えたならば、水が減って行くことに怯えずに、ただただ、ゆっくりと流れ落ちる水に思いを寄せながら、ワクワク、のんびりと貯まっていくことを楽しめるだろう。
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