見出し画像

Mr.Childrenと相対主義、多様性と寛容

文化と社会は密接につながっていて、時代に流行る音楽と社会のつながりの話ということでこの題名です。

現代においてよく言われるグローバリズム。
これを実現させる為に必要なのは「文化共存」や「多様性」「思う事は人それぞれ」のような考え方、まさしく存在する様々な考え方や文化に対する「相対主義」ではありますが、ゆえに現代はインターネットやそのグローバリズムから発生する様々で多様な人や文化、考え方などから逃れられない時代であり「相対主義から逃れられない時代」とも言えます。

相対主義とはなにか、というと古代ギリシアでは何が世界を作り出しているか、という議論から出た中である古代ギリシアの哲学者、ソフィストでもあるプロタゴラスの言った「人間は万物の尺度である」という人間の価値観が世界を作り出している、という物が現在言われている古い起源になります。

この「人間は万物の尺度である」はいわゆる「人それぞれ」
人により価値観が変わってしまうためその通りではあるのですが、当時、法律などの規律、世界の法則を見つけようとしていた別の哲学者からは相当に不評だったそうです。
相対主義とは、何でも主張できるがゆえに、したがって何も主張していないという立場とも言えます。

簡単にいうなら人殺しも人間であり、人間が価値観であるのなら人間がおこした人殺しはいいのか?のような話になったり、例えばそれで、王政であるなら王様がOK出せば、民主主義であるなら全員が喜ぶのであればどんなことでもやってよい、のような倫理の存在しない世界が生まれる可能性が出てくるわけです。

そうした一見正しいようで残酷な考え方であり、また人間が基準である為、人間こそが全てを決めることができるのような強烈な人間中心の権力志向の考え方でもあります。
したがって「寛容」とは相いれずというのが前提で現代の哲学者は寛容と何とか両立させようとなんとか色々な論説を出していたりします。

なぜそんな事をするのかは先述のグローバリズムなどにより進む多様な価値観を受容する必要性が出てきたからです。

こうした点を持ち合わせる相対主義ではありますがその隆盛の始まりはルネサンス期。
神から人へ主役が徐々に移り変わり、神がいない為その価値観がなくなり中心が人間に移り「人間は万物の尺度である」という価値観は断固否定できなくなってきます。
神様ではなく人間を中心に添える、人文主義の隆盛と言えますでしょうか。
神がいなくなることにより人が価値観になりうる時代の到来がルネサンスでした。

Mr.Childrenは1990年代から今に至るまで絶大な人気を誇る日本のバンドで、自分も大好きなこのバンドですが、歌詞を見ていくと本当に素晴らしく、どの人にでもあてはまるような世界の話、どうしようもない気持ちの吐露やどうにもならなくなった人達に起きてしまった事の顛末に救いを与えるような、そんな素晴らしい世界が歌詞で書かれている事に気が付きます。

広範囲の誰に対してもしっかり受け取れる「多様性」を持ってそれを掲示しています。
ヒットチャートに挙がって当然なバンドであれば当然な訳ですが、歌詞を見ていくと、前提にあるのがどうにもならない世界の中において、ちっぽけな自分たちがどう立ち振る舞い生きていくか、、のような話がとても多くでてきます。

どこへ向かうかもわからない世界を生きて行くにはどうすればいいのか、、のような迷い。

答えはなくて、人それぞれで、そのままいけばいい、、、

なにもなくてもいいじゃないか、と思わせてくれる安心感。

その残酷な世界を受け入れてしまうことの結末に幸せが待っていて、、
幸福を得る為には残酷な世界の必要性や、何が起こるかわからない、あれもないこれもない残酷な世界、不条理な世界に生きることをそのまま美しく肯定する事。

幸福に相反する残酷さと、残酷さに対しての救いを行き来することが今の社会を取り巻く価値観なのでしょうか。

世界には「人それぞれ」の様々な考え方が存在しているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?