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自分にも他人にも“凄さ”を求めること

若さ故に、夢は大きく野望は多く、志は高く
何か、すごい者に成りたい、何か凄いものに出会いたい

20代の頃、自分もそんな感じだったかもしれない。果てしなく満たされない感覚。
常に何かが足りない感覚。

今もなお、歳を重ねてもなお、
そういう終わりなき刺激を求める人がこの国にはとても多いように思う

そして大勢の人が凄いと称賛することを、揺るぎない価値のように感じ

そうでなく、人から無視されているようなものは、とるに足らないもののように扱ったり

凄い自分になれないことで、自分をダメな人間、無能で無価値な人間であるような
卑屈さえ感じてしまう。

例えば試合や競争ごとにおいて
1位、2位、3位...何かしが人よりも勝利を収める為に、スポーツなどの修練をする

芸事、ダンスや、歌や、絵描きやもの作りをする者は
いかに多くの人を感動させたか否かで、その評価を受ける

もしも試合に勝てなければ
その人はその競技をやめるべきだろうか

もしも作り出した作品が多くの人を感動させ得なければ
そのアーティストはアーティストを名乗るに値しないであろうか

そんな虚しい考え方をする人がとても多い中では
常に比較と競争が存在し
誰かを持ち上げ称賛する代わりに
別の誰かを見下して評論し尊重しない

無視をし、無価値なもの、と切り捨てる

そうして本当は自分自身こそが、その瞬間
周りを取り巻く繋がりの世界の全てから、切り離され、切り捨てられているのかもしれない
(人をどのように扱うか、はそれすなわち
自分自身をどう扱うか、ではないでしょうか)

一人一人の人間が自由に生きる姿
その想いと意思を尊重するとき
自ずと自分自身も、
その自由意思を全宇宙から
(世界とは、自分の意識が捉えている概念である)尊重されている

(最近目にした文章で素敵なものがあったので引用します↓)

『今目の前に広がる全てが、私達が未来に求めているもの以上の宝物なのです
それはあまりにも自然に、あまりにも近くにあって、あまりにも全てを包み込み、あまりにも当たり前にみえるからです』

自己肯定 とは、案外難しいものなのかもしれません
つまり、他人を肯定することも同様に。
(それは称賛し崇めたり、ただ媚びたりすることとは違うことだから)

とるに足らないものなんて何ひとつない
自分がまだそれを知らない、気づいていないだけで
全てが凄さで溢れている

良いこともそうでないことも
あるがままに起きる出来事が
ただあるがままであることを願いながら

それでも理想や信念の心の声に従いながら
与えられた生をまっとう。

人は食べて寝て生きる
そうして何かを作り出す
最初は自分自身の為に、やがて誰かの為に。



#才能 #自己肯定 #生きる #凄いひと
#エッセイ #暮らし

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