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ほんとうの夢とは

物心がつく頃から音楽が好きで歌うことが大好きだった。
中学生の頃には歌手になることが夢となり、オーディションを沢山受けた。
私が歌手になりたかったキッカケは、モーニング娘。だった。
可愛くてダンスや歌を楽しそうに踊って歌っていて、歌が好きなこととプラスして、テレビに出て歌う事はカッコいいなと思った。
結局、私はモーニング娘。になることも歌手になることも叶うことはなかった。
それでも、歌うことは大人になっても大好きで最近までずっと歌手になることができなかった運命を受け入れることができないでいた。
なぜ、今になって歌手になれなかったことを受け入れられたか。。
やはり教えてくれたのも芸術だった。
私は音楽を聴くことはもちろん、ドラマを観ることも好きで、昔のドラマから最近のドラマまで様々観ている。
ここ最近になって気がづいたのは不思議なことに、「今聴いてみよう」「今観てみよう」「今読んでみよう」と思う音楽やドラマや本など、「今」手に取る芸術は、「今」悩んだり苦しんだりしている私に対して必要なメッセージがドンピシャに隠れていることに気がついた。
まるで、誰かが私を見ているかのように。
天使?守護霊?私を見守る存在が私を見かねて訴えかけているかのように、その時に悩んでいたこと、苦しんでいたことに対して、芸術を通して、その都度、音楽やドラマや本の内容の中の言葉やシュチュエーションで答えを教えてくれるのだ。
そのことに気づいた瞬間、自分がなぜ夢が叶わなかったのかわかった。
私が歌手になりたかった理由は冒頭にも書いたように、可愛いからだとかカッコいいからだとか、自分が踊って歌って楽しいから歌手になりたいという自分の自己顕示欲を満たしたいだけの夢だったのだ。
今、実際にプロとして活躍されている歌手や俳優、脚本家、作家など芸術に携わっている人達は、自分の自己顕示欲を満たすためにやっているのではなく、人の役に立ち、人の役に立つことで世の中、世界、地球までも良くする存在として、それが可能だから活躍している。
きっと神様は「人のため世のためにそして地球のために役に立ちたい」と思える者にそれぞれ該当する才能を授けている。
そう気づいたのだ。
「自分のためなのか。」
「人のためなのか。」
私と実際にプロとして活躍されている方の違いはそこだった。
今思うとそんな簡単なことにも長い間、気づけなかった自分が恥ずかしい。
本当の夢というものは、自分のためだけに存在しているものではなく、まわりの人の役に立つことができて、そのことが結果的に世の中や世界や地球をも良くし結果的に地球自体が良くなることで自分も一緒に幸せになれる。
きっとこの世の夢とはそのようにできている。
それであれば、私がこの世のためにできることはなんだろう?と考えた。
出てきた答えはエッセイを書くということ。
小さい頃から先生や両親から文章を書くことを褒められていた。
また、エッセイのコンテストで受賞したこともあって、もしかすると私がこの世にできること、すなわち使命と呼べるものは文章を書くことなのかもしれないと気がついた。
荒削りな部分もあるが、文章を書いているときは、自分の経験や体験を通して気づいたことを誰かに見て聞いてもらって役に立ちたいと確かに思えるからだ。
本当の夢とは自分本位の動機で好きなことを貫くのではなく、自分の強みで人の役に立ち地球が綺麗になって完成することが私達の本当の夢と呼べるのではないだろうか。


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