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1. 贈与の絨毯爆撃

暗号通貨やブロックチェーンという言葉が国際機関の中でささやかれ始めたのは、一般社会よりずっと遅く、2016年くらいだったと思う。
 10億人以上いると推定されている、銀行システムの利益を享受できない unbanked や underbankedと呼ばれる人たちをブロックチェーンによって新しい金融システムに取り込むことができるとか、難民やIDP援助の効率をあげることができるとか、取引における透明性の圧倒的な向上により、不正や汚職を減らし、効率を上げることができるとか、あるいは、持続可能性のある開発目標(SDGs)の達成に大きく貢献できるとか、そんなメッセージがメディアに蔓延するようになって来たのは、ICOが爆発的に発生した2017年だった。国連が公式にブロックチェーン関連の最初のマーケット・リサーチをしたのも、世間がICOで騒々しくなってきた2017年4月だった。
 その年は、かなりたくさんのホワイト・ペーパーを読んだし、この分野のスタートアップやブロックチェーン祭りに参加する巨大な企業群とも毎日のように複数の面会が続いた。一年間におそらく200人くらいに会っただろうと思う。
 その頃から、国連内では、法務や財務の専門家が議論に参加するようになってきた。というのは、ブロックチェーンやAIを利用して、国連の仕事を改善できないか考えるグループは、どの機関でもだいたい「イノベーションなんとか」という看板を掲げた小さい部署を作っているのだが、実際にメイン・ストリームの業務に新しい技術を導入するとなると、網の目のように張り巡らされた現行の規範的枠組みや財政システムとの整合性があるのかないのか、ないならどこをどう変える必要があるのか、というような検討が鍵になる。
 法務や財務が直接関わり始めたのは、ブロックチェーンがもたらす変化は、ちょっとカッコいいアプリのようなものでなく、根本的な組織改革を引き起こす可能性があるものだという認識が徐々に広まってきた結果でもあった。
 それと並行して、たくさんのスタートアップが持ち込む様々なプロポーザル、ホワイト・ペーパーの検討が進むうちに明らかになってきたことがあった。それは、彼らが貧困の撲滅や、汚職の防止や、人道支援の効率化などをターゲットにする善意は分かるが、彼らは現場で実際に何が起こっているかを全然知らないということだった。知らない問題は解決できない。
 その頃、思い出したのが、名古屋大学大学院の国際開発研究科というところで授業の準備をしていた頃のことだった。シラバスを作って、参考論文のリストを各項目ごとに載せて行ったのだが、その研究科では実務家の要請が強調されていたので、現場で応用できるような教材を探したが、全く見つからなかった。
 もちろん国際人道法や、開発経済の教材は無数にあるのだが、最低限の学問的知識が必要でも、それだけで実際に毎日人が死ぬような現場に出て、何かが出来るわけでない。その一方で、プロジェクト・マネジメント関係のノウハウ本も無数にあるのだが、これも必要でも、大きなシステムの末端のスキルが向上したからと言って、プロの実務家になれるわけではない。
 国際協力の有効性についての疑問は歴史が長く、深いものだが、それにしても、失敗の連続の中には、苦い経験と教訓の蓄積がある。残念ながら、そういうものは、アカデミズムとノウハウイズムの狭間にこぼれ落ちて現場の実務家以外には効率よく共有されていないということなのだろう。
 それが教材を作るために「援助プロジェクトに関する覚書」というタイトルでメモのようなものを書き始めたきっかけだった。
 村上龍が編集長のJMMに、2004年7月から8月にかけて五回に分けて配信されたが、 note には内容別に七回に分けて載せることにした。
 1. 贈与の絨毯爆撃
 2. マーケットとの格闘(上)
 3. マーケットとの格闘(下)
 4. まっとうなビジネス
 5. 反則技/販促技
 6. マイクロ・クレジット地獄
 7. 人足寄場な LIFE

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1. 贈与の絨毯爆撃

 失業というのは、経済的な困窮を招くだけでなく、精神的にも大きな打撃となる。簡単に言うと、ものすごく落ちこむ事態だ。おそらく、日常的に意識していないとしても、職というのは、人間の尊厳に深く結びついているのだろう。日本のような先進国における失業率の増加と自殺率の増加には正の相関関係があるのではないだろうか。

 難民という境遇の決定的な要素の一つは、自分の生活の場、仕事の場を去り、国境を越えて母国を去ることを余儀なくされたということだ。だから、難民になるというのは、職を失うということでもある。難民であるということは、それだけで重い抑鬱的な精神状態をもたらすものであり、難民のメンタルなケアが非常に重要な仕事であることは、現在の難民の保護システムが通過してきた過去約半世紀の経験でよく知られている。

 職がない、失業しているということの裏面は、生存のためにはたとえ一時的にせよ、たとえ尊厳との引き換えであっても、人の助けに頼らざるを得ない、もしくはそれを乞わざるを得ないということだ。これが抑鬱的な事態でなくてなんであるだろうか。

 難民を自分の人生のコントロールを失った人と定義した友人がいるが、これは難民という事態のある一面を的確にあらわしている。援助を受け取るという一見単純な行為は、このような測りがたく重い精神的な負荷を莫大なエネルギーを使って乗り越えた上でやっと可能になる行為でもある。

 贈与の一撃によって権力関係の基礎が築かれるなら、メディアで騒がれるような大きな復興支援や難民支援は、贈与の絨毯爆撃であり、それによってとてつもなく強大な権力関係が生成される過程でもある。本物の爆撃をかろうじて逃れたかもしれない人々が、これでもか、これでもかと降りそそぐ贈与の爆弾によって負い目の泥沼に全身を絡め取られ、権力関係における被支配者側に組み込まれていく。

 援助をもらってハッピーな笑顔をカメラの前で見せろという世界中からやってきたメディアによる無言の強要、援助を受け取る人々の声は聞こえなくても(聞く気はなくても)ニューヨークやジュネーヴの声には飛び上がる国連職員の役人根性、自分探しの旅の途中で何の疑いもなく自己陶酔にまみれる先進国NGOの若者たち、これらが難民や戦地の被災者の苦悩と屈辱を深める。

 それに比べれば、先進援助国の、とりわけ「ハイ・レベル」訪問団が現地で繰り出すトンチンカンな質問と板につかない同情の装いや、ウソ・隠蔽・ごまかし・騙し合い・駆け引きの錯綜する国際援助の現場の話をいとも簡単に鵜呑みにする、あらゆるビジターの中で最も扱いやすいカテゴリーに属する研究者の訪問は、幕間の軽い挿話に過ぎないかもしれない。

 実際、私は大学に席を置くようになってから、ある調査団の一員として一度アフガニスタンを訪問したが、私が一番恐れていたのは、今度は自分が笑い話の主人公になることであった。結果は、それを回避するのはほとんど不可能であった。

 いくらアフガニスタンに何年も住んでいたといっても、何千キロも離れた日本で何ヶ月も生活した後では、現地のものごとの動きを正確に把握するには限界がある。正確にというのは、公式文書を読めば分かるような、あるいは公式のミーティングで供給されるような表向きの話だけでなく、実際の話ということだ。幸いにもまだ生き長らえているインフォーマルな情報源を時間がある限り使って、スケジュールに沿って得られるフォーマルな情報の質を見極めようとしたが、1週間くらいでそれが完璧にできたとはとても思えない。

 公平のために証言しておくと、実際の爆撃と贈与の爆撃の二重の災いを乗り越えて、いつか人間の尊厳を取り戻すために生きて行こうとする人々の困難を理解した上で、メディア、国連、NGO、政府、アカデミズムに関わらず、それぞれの分野で苦悩しながら仕事をしている人もいる。なぜ苦悩なのか? 繰り返しになるが、援助の本質には、助けるという行為自体が相手をより苦しめる効果も持ってしまうという側面があるからだ。

 援助を受ける人々とエイド・ワーカーの生活は、無垢な善意や慈善、マンガ的な美談やヒロイズムとは何の関係もない。生存のために自分の人間としての尊厳の一時的な棚上げを受け入れる壮絶な覚悟の人々が一方におり、自らの業務が彼らの尊厳を粉々に砕いてしまうかもしれないことを知りながらもなお、薄氷の上を歩むように仕事を続ける人々が他方にいる。そういう関係によって本質的に不可能な仕事が成り立っている。

 以下では、様々な援助プロジェクトについて現場の人々が日々直面している問題について思いつくままに記録しておこうと思う。

(2004年7月11日配信)

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