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2. マーケットとの格闘(上)

 この回では、難民キャンプという、一般社会から区切られ、閉じられた小さな経済圏におけるプロジェクトに関して書いている。
 今は、ブロックチェーンを元にしたアイデアがたくさんある。すぐには無理でも、現場の実務家のフィードバックを得て、全体のデザインを見直して行けば、やがて実際に使えるものが出てくるかもしれない。

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2. マーケットとの格闘(上)

 難民として他国へ避難している人たち、戦乱の中で職は爆弾とともに吹き飛び、戦後とも失業状態にある人たち、このような人々になんらかの収入の手立てを与えようとするのが Income generation と呼ばれるプロジェクトだ。「収入向上」と訳されることもあるが、向上というとすでにある収入に上乗せするような意味になってしまうので、少し意味がずれる。普通はまったく収入ゼロの人を前提に(すでになんらかの収入があるがそれが十分でない人を排除するわけではない)、このプロジェクトは計画される。

 Income generation というのはプロジェクトの一つのカテゴリーを示すだけで、実に様々なものがある。パンを作る、換金作物を作る、大工仕事をする、刺繍を作る、服を作る、絨毯を作る、金物を作る、石鹸を作る、養鶏をする、魚を養殖する等々、例を挙げていけばきりがない。それぞれの地域の経済や文化や特産によって様々なプロジェクトが工夫され、実施されているということだ。

 実に希望に満ちた、楽しい話に聞こえるかもしれない。しかし、Income generationというのは、実施は簡単でも成功するのが最も難しいと恐れられているプロジェクトでもある。その理由は、最初に結論だけ書いてしまうと、「収入」という言葉があることから分かるように、このプロジェクトは単なる援助プロジェクトではなく、援助活動という範囲を超えて一般の経済活動に関わっているという点にある。つまり、援助プロジェクトを実施する人・団体にはまったくコントロールできないその国の経済が、このプロジェクトの成否に関わっているからだ。

 もう少し詳しく書くと、例えば、難民という立場の人は労働マーケットから排除されているのが普通である。難民キャンプから外に出ることを著しく制限されている場合もあるし、あるいはそういう制限がなくとも就労の許可を与えられていない場合もあるし、あるいは就労許可があっても言語、習慣、宗教、民族、地縁、血縁などの諸条件によって地元の人々の方が圧倒的に有利という場合もある。結局、基本的には難民がその国の労働マーケットに参入するのは極めて難しいということになる。

 その結果、幸運にも雇用者が現れたとしても、難民は労使関係において非常に弱い立場にある。つまり、どんなに悪い条件でも、仕事がないよりまし、というわけでその条件を受け入れてしまう可能性は非常に高い。難民キャンプには、こうして究極の低賃金の条件が成立する。そのような場で実施されている Income generation プロジェクトがどのような結果を導くだろうか。

 一番多いケースは、収入を得るための仕事というよりも、単なる暇つぶしのような活動である。例えば、あるNGOが500万円の予算で革靴を生産するプロジェクトを始めたとしよう。このNGOは、材料になる革や木型や道具を仕入れ、革靴の職人をトレーナーとして雇い、小さな家を借りてNGOの大きなロゴの入った革靴製造所の看板を掲げ、革靴生産の仕事をしたい難民を募集し、すぐさまトレーニングを開始する。1ヶ月後、革靴が完成し始めたとしよう。

 NGOの職員はこの完成品を持って、街に行き靴屋を回って買い取ってもらおうとする。ほとんどの靴屋は、もっと良質で安い靴があるから要らないという。しかし、このNGO職員は援助プロジェクトの大義を説き、やっと一軒の店にその靴を置かしてもらうことに成功する。2ヶ月経ち、3ヶ月経ち、靴一足の完成ごとに賃金を支払ってもらう歩合制を取り込んだ成果で、難民の革靴製造の腕もスピードも急速にあがって、どんどん完成品が増えていくが、靴は一足も売れない。

 4ヶ月目、このNGOは苦渋の決断をする。このままでは500万円の予算は6ヶ月以内になくなってしまうことに気がついたのだ。ドナーには1年プロジェクトだと言っている。まずいことになった。完成品の売り上げを材料費に回すことによって、このプロジェクトの sustainability は確保され、やがてこのNGOが撤退しても、難民たちだけで革靴製造は継続され、それによって難民の self-reliance が促されるというのが売り込みの文句であったのに、えらいことになってきた。来週はドナーの訪問がある。メディアもついてくるらしい。なんとかしなければいけない。そこで、このNGOのディレクターは、靴一足ごとに支払っていた賃金を四分の一に減らす決断をしたのだった。

 難民の暴動が起こるかと内心はびくびくしながらの発表であったが、意外なことに皆、静かに受け入れている。というのは、元々靴一足を作って得られる賃金はあまりに安く、難民たちはそれを収入としてあてにして来ているのではなく、難民キャンプで何もしない、できない生活にうんざりして、このプロジェクトに参加していただけだからだ。かくして、これまで靴一足を仕上げて得られた40円がいまや10円になってしまったが、それでも難民たちは革靴製造に励み続けるのであった。

 やがて、ドナー訪問の日がやってきた。「ハイ・レベル」なおじさん・おばさん達は難民たちが作った革靴を手に取り、初めて靴というものを見た未開人のような顔をして、ホーッと感嘆の声をあげながら、靴を手に取り、裏返してみたり、何も入ってるわけがない靴の中をのぞいてみたりする。もっとパフォーマンス慣れしているおじさんなどは、テレビカメラが回っているのを見極めて、自らその靴を履いてみせて「なかなかいい!」と感想を言ったりする。「ハイ・レベル」訪問者たちは、「難民なのに」こんなことができることがいかに素晴らしいか口を極めて賞賛するスピーチをし、訪問者たちを傷つけたくない優しい難民たちは拍手をして彼らを見送る。NGOのディレクターは来年の資金継続の手ごたえを感じて安堵する。難民でない人ができることが難民にできるとそんなに素晴らしいのか?難民は難民でない人よりも劣った人種なのか? などと文句を言う人はどこにもいない。

上記の話はフィクションだが、まったくデタラメを書いているわけではない。よくある典型的なケースを例にして簡略化して書いているだけだ。

 このような Income generation プロジェクトに共通の問題は、(外部の人間の関わり方の問題はとりあえず無視しておく)生産したものを売りさばくことができないということだ。この援助プロジェクトは、ほんものの経済にマーケットで出会ってしまう。そこで、Income generationプロジェクトが生産したモノは淡い夢を壊される。

 援助プロジェクトに従事している者が、民間の製造業者とマーケットで競争して勝てるような商品を企画し、製造し、販売するというのは、簡単なことではない。だから、ほとんどの Income generation プロジェクトは予算を食いつぶすことによって、消滅していく。上記の例では、500万円を使いきった時点で、数千足の革靴の山と共にこのプロジェクトは終わるだろう。

 しかしこれはまだ幸運なパターンに属する。このNGOが夢想したsustainability も self-reliance も実現しなかったが、少なくとも難民たちはこのプロジェクトに参加している間、ほんの少しの現金と退屈ではない時間を得ることができただろう。

 たいていの場合は、先進国からやってくるNGOの若い職員よりも、ずっと大人である難民たちは、そんなに簡単に利潤があがるわけがないという現実をよく知っている。

 売れない靴の山を見ても彼らはそれほど落胆していないだろう。彼らの人生にはもっとひどいことがいくらでもあったのだ。

(2004年7月11日配信)

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