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息子にがんのことを話したら

6月に乳がんが発覚して7月に手術、そして8月末から始まった抗がん剤治療も、残すところあと1回の投与となった。私にとってのこの1年は、乳がんとのお付き合いが8割を占め、息子のことが1割、残りの1割に家族や仕事、趣味、ビール、野球、ダルビッシュのYouTubeなどがぎゅうぎゅうに詰め込まれている感じだ。

とにかく乳がんで生活スタイルがガラッと変わってしまったので、乳がんのことを書きたくなるのだけど、今日は「1割」を占めている息子のことを書こうと思う。

「息子さんには、乳がんのことは話されたのですか?」

この質問はいろんな人から訊かれたし、主治医のH先生にも訊かれ、手術で入院したときには看護師長さんからも訊かれた。答えはもちろんYESだ。

お母さん、乳がんが見つかりました。ステージ1の早期がんだから手術はうまくいくだろうけど、どうも抗がん剤治療が必要でね。そんな感じで伝えたと思う。それに対する息子の反応はこうだった。

「えーっ! 早く治しなよ! がん細胞を舐めちゃダメだよ。ふつうの細胞と違って、ほぼ無限に増える細胞なんだからさー」

さすがは理系の夫の血を引いた、ザッツ理系な答えだ。私から伝わっているはずの文系の血の臭いは感じない。クールというか冷静というか、それとも『はたらく細胞』の読み過ぎなのかはわからないが、病気を私以上に真正面からとらえてくれていたように思う。

そのスタンスは手術前後や抗がん剤治療後も変わらず、「調子はどうなの」「抗がん剤、あと何回?」などと訊いてくることはあったものの、私の病気で動じるような様子はなかった。

そこでこの前、息子にそっと訊いてみた。「お母さんが乳がんだって知ったとき、ショックじゃなかったの?」と。すると息子は「ショックではない。気をつけなきゃなーって思った」とのことだった。

「がんはお母さんみたいに元気そうな人でもなる病気なんだから、俺も大人になったら毎年がん検診を受けようと思った。それだけ。それに、早めに見つけてちゃんと治療すれば、がんは怖い病気じゃないってお母さんは前から言ってたし」

あー、確かにそうでした。私は医療系のライティングをすることが多いので、今は「がん=不治の病」ではなくなっていることを実感し、息子にもよく話していたものだった。

それに私の母もかつては乳がん患者だったのだが、早期発見と標準治療のおかげで80歳を過ぎた今も元気過ぎるほど元気だ。「元気は元気だけど、最近忘れっぽくてねー」なんてボヤいているが、死ぬのも忘れている気がする。

そんながんサバイバーの実例を間近で見ているのも、息子のがんを恐れない意識につながっているのかもしれない。

「それに俺、自分のことでわりと精一杯なんで、お母さんはお母さんでがんばればいいと思う。俺は俺でがんばるから」

息子はそう言ってヘッドホンをすると、数学の勉強を始めてしまった。これは「これ以上話はしたくない」というサインなので、息子の部屋から退散した。小さな机に向かうゴリラのようなデカい背中に「勉強、がんばれ」と声をかけて。そして私もあと1回の抗がん剤、がんばります。

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