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好きなことを探すようになったきっかけ

中学生の頃、私は卓球部に所属していました。

両親も姉も卓球経験者だったので、休みの日には家族みんなで市民体育館に行って卓球で1時間くらい遊ぶことが定番でした。

そんな家庭環境が功を奏して、中学1年生で卓球部に入部したばかりなのにまあまあ卓球が出来る子でした。2年生では団体戦でレギュラーメンバーに選ばれることもあり、充実した部活動ライフでした。

それでも県大会では初戦敗退なので、自慢できるほど強いわけじゃないけど、弱いわけじゃないというレベルと言えます。

まあまあ卓球が出来た私は卓球が嫌いでした。

努力したら得点が取れるようになるけれど、強い相手にコテンパンにやられるとこの世の終わりくらい凹んでしまっていたのです。

試合に勝ったとしても、嬉しい気持ち以上に負けた相手が泣いていたら申し訳ない気持ちでなっていました。つまり、全くスポーツに向いていない性格だったということです。

それでも真面目に部活動に取り組んでいたので、向いてなくてもまあまあな成績(地区大会で3位以内に入賞とか)は取れていて、部活も嫌々ながら続けていました。

そんな時、今まで全然目立っていなかった同級生の女の子が急に大会で良い成績を取り始めたのです。

その子は3年生になる直前に「高校でも卓球を続けたいから卓球が強い高校へ進学したい」と宣言した子でした。

彼女は練習の時も、練習試合の時も、大会の時も楽しそうで、重い足取りで体育館に向かっていた私とは正反対に負けても勝っても彼女は軽やかな雰囲気を纏っていました。

彼女はメキメキ成績を伸ばし、部活を引退する頃には部内では運動神経の良い子とトップを争うほどのレベルにまで上達していました。

15歳の私は好きのパワーに完全に圧倒されていました。

負けた経験も、悔しい経験も、つらい経験も楽しい経験も全てプラスに変えてしまう『好き』のパワーは、嫌いな人がどんなに努力をしても全く勝ち目がないことに気付いてしまったのです。

そして私は、自分の好きを探す旅に出ました。

高校では吹奏楽部に入部してみたり、大学ではダンスをやってみたり、社会人になってからは登山や海外旅行やヨガなんかにも手を出したりしました。

どれも楽しんでやりましたが、中学の卓球部で出会った彼女の『好き』には大抵及んでいないレベルでした。

もっと専門的なことなら夢中で取り組んで好きになるのかもと思って、大人になって選んだ職業は医療職でした。

仕事内容も勉強も好きでしたが、体力的にも精神的にも向いていなくて、これも全部ひっくるめて好きとは思えないことだったなと、自分の能力の低さにガッカリしました。

もう、子どもの頃から振り返って、『好き』をかき集めてちゃんと考えることにしたのです。

考えて考えた結果、しょっちゅう人の心について考えていたことに気付きました。

なんであんなこと言うんだろう。
なんであの人とあの人は仲が良くないんだろう。
死ぬってどういうことなんだろう。
なんのために生きているんだろう。

と、そんなことばかり考えていたのです。

その中には自分なりに出た答えもあれば、心理学や哲学を勉強して出した答えもありました。

「そんな頭の中でずーっと考えられることって好きってことなのかも。じゃあ、この好きを活かせる仕事をしよう」と思って選んだ仕事が心理カウンセラーでした。

クライアントさんの話を聞いてカウンセリングをすることが仕事ですが、自分の気持ちをオープンに伝えて悩んでいる方を安心させたり、どうすれば気持ちが楽になれるのが伝え続けることも大事な仕事の一環です。

心理カウンセラーとして起業して2年目で、色々な所で発信を続けていても誰にも届いていない時もありますが、それでも楽しいです。

小さい頃から溜めに溜めた自分の哲学的な考えを表現できていることも嬉しいし、さらに誰かの心が少し楽になっていたらこんなに嬉しいことはないです。

私の心理カウンセリングに感じる楽しさや哲学的な考えを表現することの楽しさや、クライアントさんの悩みが少しでも解消できるサポートができることが、私がずっと追い求めていた『好き』なのかもしれません。

もしかしたら、また違ったって言い出すかもしれませんが、それもいいのかもと思えています。

「これが好きかも!」と思って行動している時って楽しいじゃないですか。

「やっぱり違った!」と思ったとしてもまた別の好きを探す旅に出たらいいし。

今はやっと出会えた心理カウンセラーの仕事を満喫していこうと思います。



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