見出し画像

理想の親なんて目指さなくていいよ

私には2人の娘がいます。

母親になってもうすぐ7年経ちますが、全然理想的な親にはなれません。

自分の体調次第でほんのちょっとした娘の失敗(お茶をこぼしたとか)をキツく怒ってしまったり、話しを全然聞けない時だってあります。

むしろ「理想の母親像って誰が決めたんだよ」っていう反抗心すら出てきてしまうくらい疲れていることがしょっちゅうです。

子育てって文字通りに子どもを大きく育てることよりも、理想的な親であり続けることの方が大変なんじゃないかと思っています。

誰からも怒られないように、近所の人に通報されないように、子どもを可哀そうな子にしないように、毒親にならないように頑張って、そんな理想と現実とのギャップに苦しんでいる親も少なくない気がしています。

そんな世の中の親を苦しめる『理想の親』を作り上げていた一人がリアルに子育てを想像できなかった25歳くらいまでの私です。

児童養護施設に子どもを預ける親に嫌悪感を持ち、街中で大きな声で怒っている親に「そこまで怒らなくていいのに」と顔をしかめたり、泣いている子どもに無理矢理スポーツを続けさせる親に怒りを覚えたり、虐待をする親の人間性を全否定したりしていました。

子どもを産んだのなら、親として責任を持って精一杯頑張るべきと思っていたんです。

でも25歳を過ぎた頃、自分が結婚して子どもを育てることをイメージし始めた時から世間の親に対する見方が変わってきました。

というのも25歳を過ぎても中身は10代のままで、家事能力は上がらないし、子ども大好き!子どもとたくさん遊びたーい!って感じにはならないし、仕事と自分1人の生活を送るだけで精一杯で、「これに子育てがプラスされるのって無理じゃない?」と悟ったからです。

実際、私は28歳で結婚して29歳で長女を出産しましたが、大変でした。

たまたま夫は仕事が大好きで収入には困らなかったし、長女は健康で大きな心配はなかったし、実の母や義理の母も協力的でなんとか子育てを続けられてきました。

もし、このラッキーな偶然が重なっていなかったら長女をちゃんと育てられた自身は全くありません。

もし夫が働かない人だったり、離婚してシングルマザーになっていたら自分1人で生きることで精いっぱいで児童養護施設に子どもを預けることを検討していたと思います。

もし育児をサポートしてくれる人がいなかったら、心に余裕がなくて子どもに手を上げていたり、毎日のように怒鳴りつけていたと思います。

もし長女が重い病気を持って生まれてきたら自分を極限まで責めていたと思います。

そんなことを想像していたら、私が若い頃に怒りを持った世間の親も色々な事情があったんだろうなと思うようになったのです。

一番ハッキリ理解したことは子育てに向いていない人も絶対にいるということでした。これは私自身が子育てに向いていない親だと思っているからです。保育園に子どもを預けるとホッとするんです。「自分よりも子育てが得意な人に見てもらえる。良かった~」って安心するんです。

冷静に考えれば、世の中の親が全員子育てが得意だったら、保育士という仕事も学校の先生という仕事も生まれないですよね。

もしいま、子どもを産んで親という立場になったけれど、理想的な親になれずに世間で言われる毒親になってしまった自分を責めて苦しんでいる人がいたら、「理想の親にならなくてもいいよ」って言いたいです。

理想なんてみんながなんとなく作った幻想です。幻想をよく見れば見るほど、若い頃の私のように子育ての全貌を知らない人の声が大半を占めているはずです。

理想の親を目指さずに自分が出来る範囲で子どもと接して、出来ない所は出来るひとに任せていけばいいんだと思います。

マジで世の中の親全員が理想の親になんてならなくていいし、弱いところ、情けないところ、大人になれないところを持ったままで子育てしていくのが自然です。たくさん周りの人に助けてもらっていくことが普通です。

もっと、もっと、親のハードルを下げていこう。私も。親になったみなさんも。世の中も。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?