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ゴミについて考えた

今朝、2日目のビーチのゴミ拾いへ
行ってきました。

ゴミ袋片手に練り歩く、歩く。
海岸線をぐるーっと半月状に周って、
また同じところを戻ること、計2時間。

あっという間にゴミ袋はパンパンに重くなり
ジョギングコース沿い備え付けのゴミ箱へ
捨てること数回。

波の音をBGMに、視線を凝らしながら
小石のビーチをザクザク歩いていると、

まるで自分の目がゴミ探知機になったよう
な感覚がしてきました。

貝殻やまるっちい小石、小枝。
そんな自然の造物は、白、クリーム色、茶色と
いった柔らかな色をしているんです。

それに反して、そのあいだに見える
ドギツイ色の物体よ。

ケチャップの小袋、
キャンディの包み紙、
ビールの缶などなど。

中身がなくなり、用を足し終えたパッケージ
類は、スーパーに陳列している時とは大違いの
しなびた様相で、打ち捨てられています。

これらをひとまとめにして
ゴミ箱へ捨てました。

その分、ビーチは綺麗になりました。
でもその時、考えさせられたんですよ。
私が普段出しているゴミの行方を。

ゴミ捨て場へ持って行ったら
「はい、おしまい」にしているゴミのことを。

タンザニアに住んでいるとき。
ゴミの大半は生ゴミでコンポストに
直行していました。

モンゴルでは大抵の品はそろっていたとは言え
輸入品は高くついたので、結果、食べるものも
限られて、ゴミの量はほどほどでした。

それが今回、7年ぶりにイギリスへ戻って
きたら、食材、加工食品のなんと豊富なこと!

久しぶりに食べれるものがこんなにあるぞと、
しばし歓喜!

でも、それと同時に、パッケージのゴミも
一気に増えてしまいました。

今日のゴミ拾い。
散乱したゴミはゴミ箱の中へ収集されたものの
まだこの地球上に乗っかっていることに
変わりはないんですよね。

「重たいよ…」と唸っている地球。

自宅に戻って、家のゴミ箱へポイと捨てた
プラスチックのパッケージを見て、あらためて
ゴミの排出量の多さに心が重くなりました。

ビーチを綺麗にする目的で始めたゴミ拾い
でしたが、それで終わりじゃないんだよという
ことを、今日、気づかせてもらったんです。

何ができるか、意識していきます。

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