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絵本『幸福の王子』と建築家の夢。原体験からの生きるヒント

幼稚園のころに読んだ、『幸福の王子』。この1冊の絵本が、ぼくの生き方を決めました。

これまで『ストII』や『モンハン』といった有名作品を手がけてきたこと、あるいはちょっと普通とは違う報酬体系や考え方による経営をしてきたことで、ぼくは、世間からもある程度興味をもってもらえる存在になりました。

そのため、「岡本さんのいまの生き方につながる出来事はなんですか?」などと質問してもらえることもあります。

今回は、そんなぼくを形成していった原体験について。そして、そんな原体験を経たぼくの、若い人への想いも書いてみます。

みなさんはぼくの話を読みながら、自分の「原体験」を思い浮かべてみてください。

まず、「自分自身を金ぴかに」せねば

『幸福の王子』に戻りましょう。みなさんも、あらすじぐらいは知ってるんじゃないですかね。

宝石や金箔で飾られたきれいな王子の像が、ツバメに「自分が身に着けている高価なものを剥がして、貧しさで苦しむ町の人たちに持っていってほしい」とお願いをする。何度も何度もそれを繰り返した結果、ピカピカだった王子の像はみすぼらしい姿になり、取り壊され、ツバメも命を落としてしまう。

でも最後は、神様から「この街で一番きれいなものを持ってきなさい」と言われた天使が、王子の像の鉛の心臓と死んだツバメを持ってきたことで、神様と一緒に天にのぼっていく。そんなお話です。

「いつか王子の立場になれたら、自分の周りにいる人たちを助けてあげたい!」と、幼かったぼくの心に、強く刻まれました。そのためには、一旦自分が金ピカの王子にならないといけない。自分が金ピカになってはじめて、「おれの目ん玉、あげるわ」と言える人を目指せる。そう考えていました。

田舎の一般家庭で育ったぼくが、自力で王子になろうとするのは大変です。
幼稚園時代に抱いたこの想いがあったから、希望を捨てずに諦めない心やぼくの生き方が、形成されていったのだと思っています。

ゲームづくりにも似た、「平等に楽しめる」遊びのルール

ぼくが生まれ育ったのは、愛媛の自然豊かな町です。「そんな子ども時代が、ゲームづくりにどんな影響を?」と聞かれることもありますが、ないです。そんなので影響が出るようだったら、日本中の田舎からどんどんゲームクリエイターが出てきますよ(笑)。

とはいえ、いまの自分を形成しているのは、そのころに培った経験や考え方の積み重ねがあるのは間違いありません。

特にいまに通じているのは、「みんなが平等に楽しめる」よう、遊びの際は独自のルールをつくっていたこと。どうすれば、みんながいいバランスで遊べるか?  いつも考えていました。

たとえば、「モノポリー」というボードゲームは、負けた人からどんどん抜けていくのがルール。先に負けちゃった人は何時間も待つことになるから、すごくつまらない。だから独自に、誰か一人最終的な勝者がでるまで、参加者全員ゲームに参加できるよう、ルールを変えていました。

かくれんぼや鬼ごっこといったお馴染みの遊びでも、「○歳以下の子は、つかまっても鬼にならない」「△歳以下の子がつかまったら、年上の子とペアで鬼をやる」といった独自ルールを設定しました。

いろんな年齢の子が一緒になって遊ぶとき、通常のままやると年下の子が常に不利になってしまいますからね。

夢は建築家。魅了されたのは「統一感による美しさ」

王子になりたいという想いを持ちながら、その具体的な職業として「ゲームクリエイター」を目指したことは、ただの一度もありませんでした。

実はずっと、建築家になりたかったんですよ。建築家として、何百年も変わらない美しい街をつくりたかった。

ぼくにとっての美しさとは、同じものが繰り返される統一感です。

たとえば、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島の写真のような、たった1枚の写真で魅了される外国の街並みってあるじゃないですか。ああいうのと比べて、日本の高級住宅街が美しいかというと、全然違う。

断崖絶壁に佇む白く美しい町並みや目前に広がる青いエーゲ海が絶景。ギリシャのサントリーニ島

その違いはどういう方程式の違いの結果なのか。世間は気づいていない。でも、ぼくは子ども時代から気づいていました(笑)。

両者の違いは、街全体にルールがあるかどうか。街のルールを考えている人がいて、それが機能しているからこそ統一感が生まれます。日本だと、京都の美山町が近いですね。美山町は、「変わらない」を街として決めた結果、観光地として成功しています。そういう統一された美しさは、「なにが美しいか」を決めて守っている人がいるから、生まれています。

わかりやすい例だと、ひまわり畑。同じようなひまわりがただ並んでいるだけながら、誰かが「この畑は全部ひまわりを植える」と決めているから、全体としてああも美しくなる。ワイナリーの葡萄畑なんかもそう。人の手が及ばない群生があるからこそ、何物にも負けないぐらいの美しさを感じさせてくれます。

雪景色のような世界観の設計に憧れた

暮らしていた実家の窓からは、木々の色とか日々の移り変わりが見えました。風の匂いもよかった。そして、なんといっても楽しかったのは、雪。

雪はね、汚いものをすべて覆い隠します。地上には、人に踏まれて汚れたワラやビニール袋とかいろいろ落ちてるのに、それら全部をわーっとワタのような白が覆い尽くす。そして、一面の雪景色を前に人は、「うわー!きれい!」と心を奪われるわけです。

このきれい! を言語化すると、先ほど説明した「統一感」になるんですよね。ほぼ同じものが繰り返される背景にはルールがあり、それに従うことですべてが美しくなる。白銀世界はそれを、一番実感させてくれました。

そういった種類の美しさを、多くの人に感じてもらえる環境をつくりたい。

だから街ひとつ、島ひとつといった単位で、ぼくの世界観の反映、つまり統一感を実現させてみたい。100年、200年、300年後に残るような仕事をしたい。だから、建築家に憧れていたんです。

ゲームクリエイターとして、世界観設計の部分で、かつての憧れや感性は生かされてきたとは思いますよ。

ただねぇ……。ぼくがコンシューマーゲームをつくっていた当時のレベルは、ぼくが設計したかった世界観を実現するには幼稚で。満足とはほど遠かったですねぇ(苦笑)。「なんでこの地形で川が流れてるんだ?」とか、「力学的にはあの橋落ちちゃうぞ?」とか、建築を目指していた人間からすると見逃せない違和感を抱いてもいました。

だからぼくの夢の実現としては、いまも建築をやりたい。ほんとうに!

若い人の応援や機会をつくることに注力したい

『幸福の王子』から受けた影響について、話を戻しましょう。「周りにいる人たちを助けてあげたい!」という想いは、変わらず持ち続け、実践しています。

後輩の面倒を見ることはもちろん、会社の給料体系なんかもそうですね。会社を立ち上げたオーナーだけが儲かるような業界の仕組みに抗い、儲けたら儲けた分だけ、若い子にもちゃんと還元できる仕組みで運営しています。

そもそもぼくたちのころに比べると、いまの若い子たちは恵まれていません。

まず、すごい諸先輩方がいつまでも引退しないせいで、上のポジションに空きがでず詰まってる。しかも、1本のゲームづくりに8年かけるなんてことがザラにあるほどゲームの開発や運営の期間が長くなっちゃったせいで、経験も積みにくい。

野球でたとえると、王さんや長嶋さんがまだ現役バリバリで活躍してるうえに、打席にも立てない状況が続いてるようなもの。しんどいですよね。だから若い世代には、できるだけチャンスをあげたいんです。

だからぼくは、還暦超えのユーチューバー

『岡本吉起 ゲームch』はじめYouTubeチャンネルを運用しているのは、後進をいくみんなに「歴史」を教科書的に伝えたいから。諸先輩には常識だけども若い自分は知らない、といったことがよく起きますよね。ぼくらは、ゲーム業界というものが出来上がる前からやってるから、そりゃあ全部わかる。

でも、いまの子たちは先輩に「○○みたいな感じでやって」と言われても、その○○がわからない。さらに、感覚やイメージ的な話になるので、どう勉強すればいいかもわからない。その差を埋めてあげるために、まずは耳年増になってもいいから脳に情報を入れておいてねと、そんな気持ちでやっています。

再生数は全然だし(笑)、ぼくの想いなんて誰も期待してないかもしれない。ポジション的に叩かれるリスクはありますし、多くのゲームクリエイターがやりたくないと思います。いくつになっても徹夜徹夜のキツい商売で、全員忙しいですからね。

でも、今日でなくとも、明日でも10年後でもいつでもその情報にアクセスはできる。もしかすると、10年後のほうがぼくの発信した情報の価値が高くなり、続く世代の役に立つかもしれない。

だからぼくは、YouTubeに動画を残すわけです。

「打たないシュートは入らない」。まずは挑もう

若い世代のみなさんにぼくから改めて伝えたいのは、「大きな夢を持ってほしい」ということ。

アタマが良い子ほど、こじんまりした夢を持ってしまう。日本の教育の仕方が悪いせいでもあるし、そのほうが生きやすい社会になっているのは否めせん。

でも、「打たないシュートは入らない」という言葉があります。「入らないと思うよ」とシュート自体を打たないままでいたら、ゴールすることはありません。まずは夢を持ち、全力でゴールを狙うことを挑戦してほしい。

その挑戦先がどれだけデカくても、そこに理屈がつけられるようになれば、お金を出してくれる人も出てきます。

50歳までは、取り返しもきくんですよ。

若い人はその年齢の先を知らないゆえに、「30代までになんとかしなきゃ!」なんて言いますよね。はやいはやい!

50歳までで勝ちが決まるか、50歳から生き方を大きく変更するかのどちからしかないんですが、どっちになっても別に大丈夫。そこまではもう、ガンガン挑戦してください。

ぼくもまだ建築を手がけることを、諦めてませんから!

ぼく自身のキャリアは、『わらしべ長者』で積んできた

ちなみにぼく自身はというと、『わらしべ長者』と同じやり方でキャリアを積んできました。

専門学校で身につけた絵を描く技術が、ぼくにとっての「わら」。それを持って、ゲームをつくろうと入ったわけでもない就職先の会社でゲームのポスターをつくったらキャラの絵を描くことになり、キャラの絵が描けるならゲームの企画もできるだろ、とプランナーになり、プログラムも見てくれとディレクターになり、経営も見ろということになり……。

「これやらないか」と言われた仕事を、自分のそのときのスキルと交換し続けていったら、いまの仕事をしていました。

だからみなさんには、やる前から断ることはせず、言われたことをやってみる。それを繰り返しているうち、人が仕事を運んできてくれて、道が開けていくことは、知っておいてほしいですね。

「デカい夢をみろ!」の話と、ぼく自身の人生と全然違うやんけと言われそうですが(笑)、人生の答えは1つではないってことで。

というわけで、今回はここまで。次回は、暗号資産の含めた「お金」について、ぼくなりの考えをお話します。


マンホール撮影ゲームでトークンが貯まる『TEKKON』

編集協力/コルクラボギルド(文・ぐみ、編集・平山ゆりの)

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