もしも病気する直前に戻れたら

毎日のように、病気さえしてなければ全然違った人生があったはずなのにと、後悔というか、不可抗力的に起こってしまったこの病気に対してやるせなさや無力感に苛まれているわけですが、
未来への希望が薄いと、人って過去に縋り始めるもので、
既に起こってしまった病気という歴然とした事実の前では考えてもどうしようもない、過去のifを想像して心の平衡を保とうとするんですね。

しかし、だからといってそこに救いがあるわけではないことも頭では理解しているんです。
自分にとっての一番の救いは、病気前と地続きの人生を歩むことにあります。

ただ、一方で、未来への希望が薄いと書きましたが、もしかしたら、こんなにしんどい目にあった自分は、だからこそ未来に同じくらいの幸福があるかもしれないと思うこともあるんです。
でないと、あまりにも酷いじゃないですか。
つらい経験を帳消しにするくらいの幸福な出来事がないと。

たまに「左半身麻痺になったことは不幸だけど、全身動かなくなったとか、もっとひどいことになった人もいるんだからそういう人に比べたらまだ半分動くんだから大丈夫だよ」
またいな慰め方をする人っているんですけど、これって当事者からすると、てんで的外れというか、慰めになってないというか、こちらとしては、いや、言うて身体の半分動かないんだけどねって感じだし、

事実としてそこにある事象は身体の半分が動かないってことだけど、これっていざ背負ってみると、身体の半分が動かないだけじゃなくて、今まで生きてきた28年間培ってきたものの半分を失って、未来も半分失ったのと同じくらいの喪失感も押し付けられてるんですよね。

そのうえで自分は、どうせ生かしてもらった命なら最大限活用して、もう死んでもいいやって思えるくらい楽しく生きたいなと思っています。

さて、タイトルは「もしも病気する直前に戻れたら」
でしたが、ここをもうちょっと具体的に掘り下げたいと思います。
もし戻るなら出張中の仕事の休憩時間に近くの公園でちらちらと雪が疎らに降ってる中アイコス吸ってる瞬間になるのかな〜ってなんとなく思うんです。(なぜかこの情景が凄く鮮明に頭に残ってる。)
傍には同様に煙草を吸ってる出張メンバーが数人いて、仕事の話をしてるのを聞きながらたまに自分も一言二言口を挟むんですよね。

自分は煙を吐きながらスマホで彼女とのラインをチェックして、「お仕事頑張ってね」って毎日言ってくれる彼女に返事をして、今頃何してるんだろうって彼女の姿を想像して、早く会って抱き締めたいなぁって思うんです。


やがて一人また一人と仕事に戻って行くので、自分もそろそろ行かなきゃって吸い殻を携帯灰皿に入れて、戻ってからの仕事の進め方を頭の中で整理しながら自分のデスクに戻り仕事を再開します。


そんなふうにそつなく仕事をこなしながら彼女とのささやかなやり取りを楽しみに出張期間を過ごしていたわけですが、
まさか遠くない未来に左半身が動かなくなるなんて欠片も想像してなかったですから、出張が終わってからも変わらない日常が続くんだろうなぁと思っていた矢先、突然ゲームの電源コンセントを抜かれたみたいにバチッと人生が暗転したんです。
出張が終わって落ち着いたら彼女に会いに行く約束をしていて、その予定も二人で立ててたから本当に楽しみにしていたのに、今思い出しても胸が詰まるような思いに駆られてしまう。

さて、今回の記事はこんなかんじで。
まとまりのない文章でしたが、
自分の中で捌け口のない感情を文字に起こした感じでした。
自分はただ、彼女と小さな幸福を積み重ねる未来を生きたかった、それだけなのに。

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