創作大賞感想【銀山町妖精綺譚・黒田製作所物語/福島太郎】
福島さんといえば、noteで創作をしている人で知らない人はいないのではないだろうか。
noteの投稿も日々積極的にされているし、ご自身の著書をkindleで何冊も出されている。そんな中で、何にいちばん福島さんの力を感じるか、というと、次のようなことだ。
福島さんはそんな、まるで宮澤賢治の詩のような、素晴らしいかただ。
そんなひとに、私もなりたい。
でも、それはとても難しいことだ。
一朝一夕でできることではない。
その難しいことをやってのける福島さんは、noteの中で沢山のフォロワーさんとの縁を大切にしている。
福島さんのnoteのページには、こう、書かれている。
福島さんのお仕事は公務員ということで、本の制作・販売などにはいろいろな制約がかかっているようである。その旨、時折記事で拝見している。そんな中、これほどの数のkindle出版を成し遂げられている。凄いことだ。
そして何よりも、福島という郷土を愛している。
そのことは、福島さんのnoteに立ち寄られても誰もがすぐに感じることだろうし、何よりお名前が、それを如実に表している。
そんな福島さんは、noteの中でだけではなく、どんなところでも沢山の人と繋がり、何ごとにも誠実に、きちんと対応される。アイコンのイラストは、福島さんのそんな姿をみごとに表していると思う。
どれほど沢山の方に愛されているか、というと、『黒田製作所物語』に寄稿された「あとがき」をみればわかる。
この物語のあとがきを募集した株式会社スウィングマンさんをはじめとした、計15名の方が、熱烈なあとがきを寄せている。
感想もさることながら、『黒田製作所物語』の創業者、黒田虎一を慕う人々を彷彿とさせるような、福島さんへの熱いメッセージに溢れている。
多くの方が、福島さんから恩を受けている。
私もその一人だ。
福島さんは、私が『駐妻記』というkindle本を出したときに、まっさきに読んで、レビューを書いてくださった。
ところが、私は不実なことに、その恩に報いることをしてこなかった。
当時は吉穂みらいとして書いていくような気持ちもなく、『駐妻記』さえこの世に遺せればいいや、と思っていた。身バレを恐れ、前に踏み出すことを極端に恐れ、noteの中で人と交流すること、さらには顔をさらすようなことは絶対にしたくない、と思っていた。
それで、福島さんとも積極的に交流することを避けるように、福島さんのご本を読んだ後はレビューや記事ではなく。DMで感想を送ったりしていた。失礼極まりない話である。福島さんは嫌な気持ちをなさったかもしれないが、「noteの中には、そういうやりとりを望まない人もいるのだ」と思ってくださったのか、決して、嫌な顔をなさらなかった。
そのうちに、私の中のブロックがひとつずつ外れ、noteの中で交流することもできるようになり、文学フリマに参加するほどにまでなり、noteやnoterさんたちとも、以前とは違う関わり方をするようになった。
しかしどういうわけか福島さんには、当初そのように振舞ってしまった「負い目」を感じており、「自分がちょっとオープンになったからといって、急にすり寄ってはいけない」と、心の中でなにか変なブレーキがかかっていたのである。
それでも先日の文学フリマではブースに立ち寄ってくださった。
ここに来て私も「変なことにこだわっている場合ではない」と改めて思った。なんて心の広い方なんだろうか。
今回の創作大賞の応募作も、一番最初に感想をかいてくださったのは福島さんだ。
にもかかわらず、福島さんの本の感想を、私はすぐに書けなかった。
ごめんなさい。福島さん。
福島さんの本で、最初に読んだのは、『会津ワイン黎明綺譚』のkindle本だった。そして今回、「星々文芸博」で、『銀山町妖精綺譚』と『黒田製作所物語』の2冊を購入した。
『銀山町妖精綺譚』は、福島県の銀山町に来た英国人講師が「銀山の風景はまるで妖精が住んでいるような美しさだ」と言ったことで、「ふるさと創生」のプロジェクトの一環として『妖精の住むふるさと』事業を起こすことになり、『妖精美術館』を建てるまでの役場の奮闘を描いた物語だ。妖精というテーマと可愛らしい表紙からは想像もつかない硬派な物語でもある。
『黒田製作所物語』は、福島県郡山市にある架空の(限りなく実在に近い企業があるようではあるが)溶接工場が、二世代に渡り、歴史の荒波を乗り越えて大きく成長していく物語だ。こちらは企業の沿革史が、物語として実に活き活きと描かれている。
福島さんは沢山の本を出しているのだが、『銀山町妖精綺譚』も『黒田製作所物語』も、そのほかの本もすべて、noteの福島さんのページで記事として読むことができる。kindle本もある。
今回私は、どうしても、紙の本を読んで感想を書きたかったし、きちんと読み込んで書きたかった。長々と言い訳をしてしまったが、ここからは福島さんの2冊の本について、レビューをさせていただこうと思う。
ちなみに私の感想はすべてネタバレとなっている。
ご了承いただけたら幸いだ。
そのため、これからこの2冊の福島さんの本を読みたい、と思っている方は、どうかここまでで。
では。
銀山町妖精綺譚
まず手に取って最初に思ったのは、表紙が美しく、紙に光沢があり上質だ、ということだった。Amazonで普通にペーパーバックとして作る本とは、仕様が違う。
それもそのはずで、表紙は「こうこさん」の手によるもので、挿絵は「野田苑恵さん」、どの絵もとても美しく素晴らしい。
そしてモデルとなった福島県金山市から提供された四季折々の写真が巻末に載っている。最後のページにはnoteでお馴染みの「はそやm」さんのイラストも。
なるほど。だからこその、この紙質なのだと合点がいった。
金山町の写真は、どの風景も澄んでいて美しい。確かに、妖精が住むに相応しい場所に感じる。それを伝えるのに、この紙質でならなければならなったのだな、と思った。
福島さんの描く物語は、どれもそうではあるが、この物語も土地としっかりと密着していて、切り離すことができない。その土地にある風景、景色、自然、そういうものが、人を生み、育んでいることが根底にある。
だからなのか、そこに住み、生きる人々が「本当にいる」ような気がしてしまう。その町を「聖地巡礼」で尋ねたら、物語の世界がそっくりそのまま、そこにあるのではないかと錯覚するようなリアリティ。
この物語は今から三十年ほど前の平成三年からの1年間、いわゆる「ふるさと創生(地方の活性化のために国が各市町村に1億円を交付した)」に地方が揺れた時代が舞台になっている。
その時代がさして昔に感じられない私のような古株はともかく、今の若い人には、「ふるさと創生」が何か、や、スマホがない世界で仕事をするということがどういうことか、ピンとこない人もいるかもしれない。
それでも、この物語には古さを感じない。人と人とのやりとりに、時代というよりも土地独特の癖の方が強い。その癖はおそらく、地方には今も根強く残っているのではないかと思う。
役場と町の人々の力で、思いもかけない偶然の、いわゆる「セレンディピティ」のような出来事が重なり、美しい山あいに美しい美術館が建つ。
ちなみに「セレンディピティ」とは、最近スピリチュアル系の言葉として良く聞くようになったが、本来はスリランカの昔話『セレンディップの三人の王子』に由来する言葉で、幸運に巡り合う才能を意味している。
昔話では、三人の王子たちは、それぞれの旅をする中で思ってもみなかった出来事と遭遇し、その結果、もともと探していたものとは違う、しかし想像以上の幸運を手に入れる。しかしそれは、彼らの行動力と洞察力のたまものでもあった。
事業に携わる人々は「無理だ」「できない」などと言わず、「なんとかできないか」と知恵を絞る。時間のかかる絵画の収集はさすがに無理だと思い絶望しかけたが、そのときも担当者の高橋と田中の諦めない行動力で、事態は打開し、さらには新しい縁も手に入れる。
セレンディピティと言う言葉こそ出てこないが、私はこの本を読みながら、登場人物たちの行動に、ときおり、こうした「想像していた以上の幸運」を感じることがあった。
重ねて言うが、事業の成功は、英国人講師のインスピレーションや、町長の直感的な英断や、長年の間妖精を研究し続けた稲村先生との良い思い出と厚意だけでなく、役場と町の人々の不断の努力があったからに他ならない。
幸運を捕まえるには、諦めずに行動すること、が必要なのだ。
最後のシーンは、このプロジェクトに新人として参加した主人公・田中が、令和六年の今、企画課長として赴任し、取材を申し込んできた福島さん(作者)からのメールを受け取るところで終わっている。
実にドラマティックで、ロマンティックである。
ひとつの町の歴史を、妖精で語る。
そんな奇跡をつかまえた福島さんにも、セレンディピティがあったのかもしれない・・・などと妄想した。
個人的な考えだが、仕事についたときに、高橋のような上司に恵まれた田中は(もう最初からすでに)幸運だったなと思う。
仕事を始める時に、どんなふうに仕事を教えてもらえるかによって、社会の中で生きていく基盤が決まる、と思う。高橋は、新卒の部下にもちゃんと「ありがとう。助かるよ」が言える人だ。そして自分流ではあるがと前置きして、ダメなことをはっきりと教えてくれる人だ。なかなかいない、と思う。
「スムーズにいかない役所の仕事」と「地域交流の困難さ」がしっかりと描かれているのに、ドロドロとした確執の物語にならないのは、みんながそれぞれ、仕事に誠実に向き合っているからだ。福島さんの人間への信頼がそこに現れている、と思う。
読み終わったら、誰もが思うはずだ。
銀山町って、いい町だな、と。
あとがきで、はそやmさんがおっしゃっている。
わたしも、そう思う。
黒田製作所物語
この作品を、福島さんは「書きなおしたい」とおっしゃっている。
「まだまだ練り直したいところがあって、自分としてはもう一度ちゃんと書きなおしたいと思っています。だから、この本は差し上げます。この本をここに置いているただひとつの理由は、この本の中には、沢山のnoteで知り合った方々のあとがきが入っているからです。これは本当に、素晴らしいあとがきなのです」
「星々文芸博」でお会いした時、福島さんはそういって、私から代金を受け取ってくださらなかった。
帰宅後本を開いて、その「あとがき」の熱意を読み、これは絶対に代金を払わなければならなかった、と後悔した。今後、福島さんが自分自身でしっかり納得した形で書籍化された暁には、2倍の値で購入しようと思っている。
『銀山町妖精綺譚』は町おこしに奮闘する人々の物語だったが、『黒田製作所物語』は「地方のとある中小企業の沿革の物語」である。そして「とある一家の物語」でもある。
創業者、黒田虎一はたたき上げの溶接職人である。
戦後の混乱期の復興需要に乗り、腕一本で誠実に仕事をすることで、信頼を勝ち取り、仕事を増やし、会社を大きくした。
郡山という場所の歴史的、地理的な地の利についても、この本で知ることができ、興味深かった。
家族経営の小さな会社で良いと思っていた虎一だったが、時代と家族の要請もあり、「法人成り」を決意する。職人気質の虎一を支えたのが、母と妻だった。縁を大切にし、「顧客第一主義」を掲げ一本気に誠実に仕事をする虎一が、人に恵まれたのが良くわかる。そして福島さんは、虎一と会社を支える母と妻への視線も忘れない。
虎一の妻、和美は相当に有能な妻であった。経理や総務を一手に引き受け、「業界紙を購読し、自宅でも日々勉強を続け」て卓抜な情報リテラシー能力のあった和美には、先見の明があった。二代目を継ぐことになった娘、美希にもそれは引き継がれたようだ。
虎一亡き後、いったんは和美が社長として跡を継いだが、その後を、会社を離れていた娘が引き継いで成功させる、というのは、なかなかできることではないのではないか、と思う。
美希の卓越したところは、震災後、みんなが絶望に打ちひしがれるなかで、自分たちの会社の技術を、社員の力を信じ、むしろ「新しいこと」に挑戦しようとしたことだと思う。
二代目三代目、というのは、これが当たる人と、当たらない人、そもそも挑戦しようとしない人、に別れるように思う。
時代におもねって、ただ博打のように「新しいこと」を取り入れると失敗しがちだが、これがいちばん、多いパターンなのではないだろうか。
美希のように、自分たちの持てる人材や技術をとことん信じたうえで、新しい提案をするような後継者は、そうそういないような気がする。
東日本大震災で被害を受け、誰もが打ちひしがれる中で発した美希の言葉に、私は痺れた。
虎一の漢気を引き継いだ、ともいえるし、和美の先見の明の力を引き継いだともいえる。その両方なのだろう。
そして人材を見抜く目も、美希には備わっていた。溶接技術日本一となる女性が「チーム黒田が日本一」とまっすぐにいえる会社である。有力な後継者候補の、創業当時から歴代社長の右腕だった柳沼常務が「まかせたい」と思った社長である。
よく、HPなどに「企業沿革」などが載っていることがある。そこにはその会社の、創業から理念、現在までの足跡が、縷々綴られていることがある。
ついつい見過ごしがちなその文章の中に、いかにたくさんの物語が詰め込まれているのだろう、と思う。そんな「物語」を掘り起こしてくれる、福島さんの視線は、最初から最後まで温かい。
私は、これまで福島さんの本を読んだ中で一番、この物語に惹きつけられた。夢中になって読んだ。最近また始まった新生「プロジェクトX」はいまひとつだなあと思うことがあったのだが、もしかしたら、全国に知れ渡っている有名企業の話などではなく、大規模なプロジェクトだけではなく、こうした地方の、踏ん張っている企業に目を向けて欲しいと思っていたのではないか、と思う自分の心に気づいた。
福島さんがどうしても「書けなかった」震災とその後のこと。「筆舌に尽くしがたい」といい「詳細については割愛させていただくことを、ご容赦いただきたい」というその言葉に、どれほどの思いが込められているかを感じずにいられなかった。
故郷の地を愛する福島さんにとって、心からの言葉だったと思う。
今は、改めて、改稿される『黒田製作所物語』を、楽しみにしようと思っている。
福島さん、体調はその後いかがでしょうか。
くれぐれもご自愛ください。
これからも、ご活躍を応援しています!
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