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小心者の慶應外部生OBが語る

おはようございます。
甲子園が終わりましたね。
というわけで。


慶應義塾高校優勝!

慶應義塾高校が107年ぶり(!)の優勝を果たしました!
流石に前回を知っている人は皆無ですので、
塾員(慶應卒業生)の盛り上がりっぷりたるや凄まじく、
facebookを開くと、関西に向かう新幹線の写真と甲子園球場からの応援の写真で埋め尽くされていました
テレビを観るまでもなく、皆さんの投稿で試合の状況や結果がわかる状況で、「今回はただ事ではない」と思った次第です。

私自身も慶應義塾大学の卒業生です。
ただ、いわゆる「外部生」と言われることの多い、
大学入学組です。
そのため、塾高は出身高校ではないのですが、
2年間通っていた日吉キャンパスの中にあったこともあり、
何となく大学の一部のような印象はありました。
(第一校舎、第二校舎という、大学予科時代からの建物がセットで残っていて、第一校舎が塾高で、第二校舎は理科系の実験科目が開講されていたのでよく訪れていました。ちなみに見出し写真は第二校舎です。塾高撮っておけばよかった苦笑)
大学時代から仲の良いOBも多いですし、
やはり自分の出た大学の一貫教育校(慶應では、「付属」とは呼ばない)が出場していると、応援はしたくなります。
(もちろん、仮に自分の出身高校が甲子園に出るようなことがあれば、そちらを全力で応援しますが)
彼らの健闘を、心から称えたいと思います。多くのドラマを、ありがとう!

今回、慶應について語られたことは、大きく2点あったかと思います。
一つは、髪の長さ。もう一つは、応援。

前者は「もういい加減、球児に坊主イメージを押し付けるのはやめたらどうだ」という高校野球全体に関わってくる話が出てきて、一方で「オシャレも楽しめて強くてずるい!」という声もあったような印象です。
こちらは、正直なんで今さらこんな話をしているんだと思っていたのですが、
よくよく調べてみると、単純にずっと坊主文化が続いているわけではなく、減ったり増えたりを繰り返しているようです。

こういうことも含めて考えてみると、多角的に見えてきますね。

もう一つは、応援について。
「慶應側の応援に大勢の卒業生が加わっていて、何なら塾高以外の高校の卒業生(他の一貫校や、外部生)まで集まっている。これは流石に圧が強すぎるのではないか…」という批判的な声もあれば、
「いや、それこそが応援の力ではないか、選手にホーム感を作ることができたのは慶應のパワーだ」という肯定的な声もありました。

先日の記事にも書きましたが、
対戦相手やその応援団にしてみたら、確かにやりづらかっただろうな、という気はします。相手も甲子園に出場したとはいえ、まだ高校生だということは忘れてはならないでしょう。

でも、応援に来た人は、母校を応援したかったから応援した。
それ自体は、凄いことだと思うのです。
節度を持った応援を、ということも正論ではあるのですが、
応援にきた人、一人ひとりにフォーカスしてみると、声が相手側よりも大きいのかどうか。数の力があったということなのでしょう。
仮に、全体の音量が同じになるようにせよ、としたとして、全員が控えめに声を出すようにしたら、恐らく声のトーンも低くなるでしょうし、テンションも下がる。
それはそれで…という気もしますよね。
問題は簡単ではないのです。

慶應の外部生として

私自体は、外部の県立高校出身ということもあって、
慶應の持つ内輪感に違和感や嫌悪感を持つ人の気持ちもわかります。
一方で、せっかく入った大学のコミュニティが盛り上がっているのであれば、その中で喜びを分かち合いたい気もするのです。

慶應の外部生には、第一志望で入った人もいれば、東大などに受からなくて仕方なく入った人もいます。
そういう人は、最初はやっぱり色々思うところがありつつも、通っているうちに馴染んでくることが多いですが、残念ながら一生引きずる人もいるようです。

慶應が大好きな人や、慶應を目指していたのに願いが叶わなかった人からしてみたらふざけんな!と思われるでしょう。
だったら再受験すればいいじゃないか、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、家庭の事情や、本人の気力の問題もあります。
ましてや、就活で新卒カードを使おうと思ったら(昔よりは多様化してきたとはいえ)年齢制限もあるわけで。時計を逆には戻せない。
それこそ甲子園を目指して野球を頑張るのと近い気持ちだった人も多いはずです。

大学入試を頑張ったが故に抱える悩み。特に幼い頃から塾に通って中学受験をして、中学に入っても勉強を続けてきて東大に受からなかった人が、気持ちの整理をするのはとても大変だと思います。

でも、それでも通っている大学が母校になるのです。
どうせ通うなら、好きになったほうが楽しいし、その後の人生も豊かになるのではないでしょうか。

そう思って、必死に好きになった大学を応援して、応援しすぎて、ついやりすぎてしまう。
そこに何を感じるかは、日本社会をどう見ているのかに通じるものがあるのかもしれません。

何やら野球と全く関係ない話になってしまいましたが(苦笑)、
私は小心者なので慶應卒業生として慶應の繋がりは大切にしたい。けど、慶應が嫌いな人から嫌われたいとも思わない。
いいとこ取りをしたい邪な人間なのですが、だからこそ今回の塾高優勝は嬉しい一方で、対戦相手への敬意も忘れてはならないと思います。
慶應卒の人の中に、塾高の対戦相手の高校出身者も大勢います。
多くの場合、人の所属意識は重層的なのです。
僕も、「ここが全て!」というのではなく、母校(中学校や高校、大学など)や職場、家庭、地域、趣味、ボランティアなど、所属意識を分散するようにしています。

その重層性を、尊重しあえる社会であってほしいし、そういう社会にしていきたいなあ、と願っています。

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