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昭和40年のクリスマス。

 昭和四十年十二月二十五日。クリスマスの日。
このころはクリスマスと言えば二十五日にやるもので、二十四日のイブは主流ではなかった。
 とても寒い日だった。
 小学校の授業が終わると、ぼくの家の庭には、いつものメンバーが集まった。
 隊長がぼくより二つ上で六年生のノリ君で、副隊長がぼくの同級生のニシサだった。あとは近所の五、六人の子どもたちだった。
 ぼくたちは、平日はたいていそろばん塾で忙しかったので、土日中心に集まった。
 土曜は午前中授業があったので、みんなは午後から集まりだし、日曜にかけてはとても忙しかった。「忍者部隊月光」ごっこをやったり、「隠密剣士」ごっこをやったり、ノリ君はとくに「コンバット!」のサンダース軍曹をやりたがった。
 畑で土まみれになって戦争ごっこをやった。ノリ君は、お父さんが戦争中、習志野の陸軍にいたらしく、その影響なのかやたら戦争のことが詳しくて、サンダース軍曹のトミーガンがお気に入りで、ナチスドイツのタイガー戦車やアメリカ軍のシャーマン戦車や、戦闘機ユンカースやメッサーシュミットにやたら詳しく、よく田宮のプラモデルを組み立てていた。ゼロ戦や紫電改も組み立てていた。ぼくもときどきプラモをいっしょに作ったが、とてもノリ君のように手早く上手には組み立てができなかった。彼はプラモに対する愛が深かった。
 というわけで、十二月二十五日は小雪が舞いそうな寒さの中、ぼくたちは、この日はノリ君の思いつきで「忍者部隊月光」の日になったので、鎌でけずった手作りの木刀みたいな刀をもって敵味方に分かれて戦った。トタン板を金切りハサミで切りぬいた手裏剣もとばしたかもしれない。
 ノリ君が放った刀の一撃が、小手となり、ニシサの手首をとらえた。これは痛い。さすがにいつもはノリ君に従順なニシサは切れてしまい、「ふざけんじゃない」みたいなことを泣きながら大声で放ち、家へ帰ってしまった。
 ノリ君は「あーあ、情けない奴め」みたいな感じで、もうやめたと言ってこの日の「忍者部隊月光」ごっこは終了した。
 遊び疲れたころにちょうど夕方になり、ぼくの家の居間にみんな集まってクリスマス会を開いた。
 前の日には、みんなで近所の山へ出かけて、クリスマスツリーのもみの木の代わりに葉っぱがトゲトゲした「べぼ」(そう呼んでいた)の木をのこぎりで切ってきたので、みんなで飾り付けをした。ツリーに巻き付けたランプが点灯。赤や黄や緑に輝き、クリスマス気分があふれた。レコードプレーヤーはなかったので、みんなで♪ジングルベル♬を唄った。
 ぼくの家はコンビニみたいな何でも屋をやっていたので、ぼくがお菓子やチョコやいろいろな店の商品を持ち出してみんなを歓待した。
 みんなでトランプやバンカースゲームをやったりしていると、ニシサが神妙な顔でもどってきた。お母さんをともなっていた。「さっきはごめん」と言ったかどうか覚えていないが、お母さんが持ってきたタオルをニシサは無言でみんなに配り始めた。タオルをもらったことで、みんな仲直りみたいなことになったが、「ニシサはなんか渋いことするなあ」と当時のぼくは思った。ニシサの家は、熊本から来た人たちなので、「愛知県のぼくらと少し習慣が違うのかもしれんね」そんな風に感じていた。
「さあ、もういちどクリスマス会のやりなおしだ」
 ぼくは腕によりをかけて、当時はまだ珍しい麺とスープの袋が別れているエースコックの「ワンタンメン」を作ってみんなにふるまった。みんな「うまいうまい」と言って食べた。このころのぼくは即席麺つくりは名人の域に達していた。                     了

 

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