適切なコミュニケーション量もコミュ欲も、人によって違うよね
人によって、適切な運動量や食事量がある。その人がもっともヘルシーでいられる量。
ふと思う。もしかしたら、適切なコミュニケーション量もあるんじゃないか?
それは人によって違う。「週に30人」が適量の人もいれば、「週に5人」が適量の人も。
また、コミュニケーションの質もかかわってくるのでは。
たとえば、「浅いかかわりなら何百人でもOKだけど、深いかかわりは3人が限度」みたいな人もいるだろう。テキストコミュニケーションか対面か、仕事かプライベートかでも変わってくると思う。
私はといえば、昨年の春頃のコミュニケーション量がちょうどよかった。
毎日会うのは夫だけ、仕事で人に会うのは週1回程度、プライベートで人に会うのは月2回程度。
これより多いと疲れるし、少ないと物足りない。昨年の秋はこれを大幅に上回ってへとへとになってしまったし、今はこれよりもずっと少なくて寂しいと感じる。
これを「少ない!」と言う人もいれば、「私もそのくらい~」と共感する人もいるだろう。
多い少ないを問題にする気はなくて、私が大切にしたいのは、「適切なコミュニケーション量には個人差がある」ということ。
この概念が浸透すれば、無理したり自分を責めたり、他人に価値観を押し付けたりする人が減るんじゃないかなぁ。
◇
あと、コミュニケーション欲にも個人差があるよね。
一週間誰とも話さなくても平気な人もいれば、絶えず連絡を取っていたい人もいる。
私はわりとコミュニケーション欲が高いほう。寂しがりで、ひとりでいるより人といるほうが好き。自粛期間中は「寂しすぎて頭がおかしくなりそう!」と思った。
コミュ欲には個人差があるから、自分を基準にしてしまうと、噛み合わないことがある。
私は子供の頃、ひとりぼっちになるのが嫌で、友達から意地悪されても我慢して付き合っていた。それを母に相談すると、決まって「ひとりでいられないなんて情けない」とため息をつかれる。「ママならもっと毅然としてるわ」と。
当時は「ママが正しくて私がダメなんだ」と思ったが、今はそう考えていない。
私と母では、コミュ欲に差がある。母はもともとひとりが好きで、あまり友達を欲していないタイプだから、ひとりが平気だったのだ。
食欲にたとえると、少量の食事で満腹になる体質の人(母)が、少量では足りない体質の人(私)に、「なんでそんなに食べたがるの? 私はそんなに食べたいと思わないわ」とため息をつくようなものじゃないか。
ため息をつかれたほうは、「あなたを基準にするなよ」と言いたくなる。どっちが正しいとか、ないんだから。
◇
自分にとって適切なコミュニケーション量も、コミュニケーション欲も、個人差がある。
そう考えるようになってから、いろいろ説明がしやすくなったし、「なんで他の人みたいにできないんだろう?」と落ち込むことも減った。
自分の場合を考えて言語化してみるの、おすすめです。
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