応募したメディアに落ちても、採用されても。
8月は自分から書きたいメディアに応募していたのだけど、ことごとく不採用だった。
変な話だけど、落とされるたびに
「ちゃんと落としてもらえて良かったな」
と思う。
テスト原稿や今までの執筆実績を送った上で落ちるということは、今の私の実力がそのメディアの求める水準に達していないということだ。
実力が足りないのに採用されてしまったら、そっちのほうが大変だろう。
◇
私は、自分の能力以上の仕事に抜擢されて潰れたことがある。
札幌でコールセンターの契約社員をしていたときのことだ。
はじめは受電業務だけだったのだけど、そのうち「お客様のデータを管理する業務」に抜擢された。任命されたのは社内でふたり。私と、いちばん仕事のできるアヤちゃんだ。
今思えば、私を抜擢した上司の目は節穴だったと思う。
私はパソコンが使えないからだ。
もちろん、専用のシステムに受電内容を記録する程度は使えるので、オペレーターをするぶんには困らない。
だけど、新しい業務はエクセル関数を使いこなせないと難しく、エクセルの基本操作しかできない私にはちんぷんかんぷんだった。
エクセルの本を買って休みの日も勉強したけど、どうしても覚えられない。アヤちゃんにも会社にも迷惑をかけてしまい、申し訳ない。
アヤちゃんは「サキちゃんがエクセル使えないの知ってて任命したんだから上司の責任だよ。気にしなくていいよ」と言ってくれた。
そう、私がエクセルを使えないことは、面接時に伝えてある。新しい業務に抜擢されたときにも言った。
だけど、上司に「あなたならできます!」的なことを言われて、すっかりその気になってしまったのだ。
私は昔からそういうところがある。
「やりがい」とか「成長できる」といった言葉に弱く、期待されると頑張ってしまう。できないことのほうが多いのに、「できません」が言えない。
そして、何ができて何ができないのか、自分でわからない。
結局、体調を崩して会社を辞めてしまった。
◇
だから、メディアに応募して不採用になるたびに、
「ああ、このメディアはちゃんと、今の私の実力を見抜いてくれた。ありがたいな」
と思う。
実力を見抜いてもらえずに「あなたならできます」と言われることの恐怖を思い知ったからだ。
一方で、この前ははじめて、自分から応募したメディアで書かせてもらった。
書かせてもらったのは、「もうダメなひとのためのWEBメディア ダメです.」
ダメなひと(を自認するひと)たちが、ダメなひとたちのために書いているのだけど、どのコラムも被害者意識がない。読後は不思議とリラックスした気分になる。
コンセプトに共感して「ぜひ書かせてください!」とDMし、快諾していただいた。
これはこれで、私の実力(とダメさ)を知った上で掲載してくれているので、とてもありがたい。
応募したメディアに落ちても、採用されても。
どっちにしろ、ありがたいのだ。
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