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作品と人格と嫌な感情について

私はどう見られているのか

 自分がこのように「中の人」を出しているのは、「真面目だから余計なことをしないようにする為」です。
 でもそんなに潔白な人間ではないです。寧ろ真っ黒かと存じます。

「自分の人生を俯瞰したら真っ黒」

 最近大学時代の友人と話したら、「YouTube shortで貴重な自分の時間を遣っている時もあるし、自分の人生を俯瞰したら真っ黒だ」と仰っていて、自分も人生の大半はYouTubeに費やしている自信があるので、大変共感しました。

「清廉潔白」な人間はこの世にはいない

 「清廉潔白」な人間はこの世にはいないと思っています。
 どんなに完璧に見える方でも失敗はしていますし、無駄なことに時間を遣っています。
 しかし、『無駄があるから人間は素晴らしい』のです。

YouTubeで馬鹿なコメントをしたくないから本名でやっている

 YouTubeでコメントをする際も、本名でやっています。
「真面目だから余計なコメントをしないようにする為」です。
 配信者が嫌がるコメントは絶対したくありません。

 死ぬほど嫌いなんですよ、馬鹿なコメントをしている方々が。
「暇かよ」と思います。
「もっと生産的なことに時間を使えよ」、と思います。

Twitterも本名でやりたい

 Twitterも本名でやっても良いかな、と思っています。
 どうせ「中の人」が割れているし。
 ふるやさま、青木さん、よしふみ、御三方とも尊敬しています。
 ですから年1回だけでも良いのでお会いしたいのです。

 【古谷優貴様(公式)ファンクラブ】を毎年12月に仙台で行っているのですが、毎年その為だけに生きていると言っても過言ではないです。
 加えて、青木さんとふるやさまと1年を振り返る配信を毎年12月に3年間行っております。

100万字以上書いているからミスリードされるのは当然

 自分も本とか沢山出していて、もう100万字以上は確実に書いているので、ミスリードされる発言が沢山あっただろうなと思いますが、未然に防げる手段はあっても「誰しも完璧ではない」と思い、諦めております。

意図的に特定の人物の悪口を書きたくて書いている時が結構あるので私は潔白な人間ではない

 あと確実に意図的に、特定の人物の悪口を書きたくて書いている時が結構あるので(寧ろその方が早く筆が進みます)、私は潔白な人間ではございません。

悪口や悪い出来事は作品の一部に昇華すれば良い

 「悪口や悪い出来事は作品の一部に昇華すれば良い」と思って8年以上経ちました。
  例え離婚や病気になっても(なりたくないですけど)、「本1冊書けるな」という作家根性です。

フォロー外せば良いし、読まなきゃ良いだけ

 「は?この方って生きている価値あるの?」みたいなTweetやnoteってこの世には万もあるのですが、フォロー外せば良いし、読まなきゃ良いだけなのです。

「嫌い」という感情を最も大切にしている

 私は「嫌い」という感情を最も大切にしています。
 嫌な環境に自分の身を置きたくないし、嫌いな人間とは一秒たりとも時間を使いたくない。
  
さらに、「嫌い」という感情は自分の作品の養分です。
 「嫌い」な感情がなかったら私はこんなに本を沢山書けなかったでしょう。
 自分は嫌いな方を拝見したら、「作品の養分になって下さって有難うございます、筆が進みます」と思っています。

【参考】カルロス袴田「作品と人格の話をしよう〜何度目かは分からないが〜」https://hakamad.fanbox.cc/posts/6330657