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生きてりゃ御の字

「毒からの解脱」という本を出しました!初小説! 良かったらどうぞ!


うつ病患者が全員となると、死屍累々というのはこういう事か。

 二人とも遅くまで仕事をしなくてはいけない為家に帰るまでが必死で、溜まった洗濯物、片付かない部屋、寝ても体力が回復しない。そんな日々が続いていた。彼は39度の熱があっても会社に行っていた。
 私は毎週通院しても、薬の量をどんどん増やしても心が体に追い付かなかった。有休の範囲で度々会社を休むようになった。

 2月のある木曜日、彼が重度の鬱病で電車で飛び降り自殺未遂を起こし、駅員さんに止められたのだ。私は仕事先に着いたが真っ先に向かった。駅の事務室にいる彼はどこも見つめていなかった、誰も見ようとはしなかった。
私の主治医にも診せたが彼は終始何も言わずに「僕に触れないでくれ」という思いしか伝わらなかった。

 私は彼に隠れて彼の会社に問い詰めた。「彼は弁護士事務所の上司に足を蹴り飛ばされたと聞いている。どういう事だ」と。でもよく分からない。彼が悪いのかその上司が悪いのかその場にいないと分からない、と思ったのが私の一番愚かしい部分であった事にその時気づくべきだった。

彼にハヤシライスを作ると、すぐ食べてくれた。

 その週の日曜日、私は友達とアイドルのコンサートに行った。一緒にサイリウムを振った。
懸命に踊る彼女達の姿勢に感動し、コンサート後も一人でそのアイドルの曲を一人で熱唱した位だ。
その後家に帰れば相変わらず彼はコクーニング(引きこもっていた)していた。
あまり覚えていなかったが何らかの諍いが起きた。
そして私は彼に絶対言ってはいけない事を言った。
「上司が悪いってあなたは言ってるけど本当はあなたが何かしたんじゃない?」

私はがっと彼に首を絞められた。
「誰に聞いた」と聞かれた。
力ずくで抑えられた。抵抗した。
「お前の上司だよ」
「人の事詮索しないで」
「電車に轢かれて死にそうだったのに心配するなって事?」
「ぼくは」
「誰が何と言おうと自分の事を信じて欲しかったんだ」
包丁を出して彼は首を切ろうとしたので警察に通報した。
「すみません」
そうしたら力ずくで抑えられて警察と会話が出来なかった。
私の携帯が再び鳴った。
「もしもし、どうしましたか。今どのような状況ですか」

「彼氏が包丁で死のうとしていて私も抑えつけられているんです!!」と叫ぶと、
彼は逃げた。

 私は冷静に状況を説明したが、警察に通報した事を後悔した。何故なら彼は本気で死ぬ気がない事が分かったからだ。
しかし家の前ですぐに警察官がたむろしていて私はすーっと荷物を持って通り過ぎた。しかし、電話が再三鳴る。私は諦めて応じる事にした。
「今セブンイレブンの前にいます」
そうするとしばらくパトカーが目の前に止まった。
警察署に連れられ、よく分からないが部屋を移動されながら身分証明書をコピーさせられ、4回違う人に同じ会話をした。
夜中の3時半まで事情聴取された。
この時日本の警察、マジ無能という事に気づいたのだ。
私はこうも言った。「私から話を聞くだけで貴方方は何も出来ないんですね」と。

 そうしているうちに、彼のLINEから「死ぬ」というメッセージがあったので、
「早く家に向かってください」と私は伝えた。
そうするとパトカーで4人ぐらい警察官に連れられ、家に戻った。
家はまるで空き巣に入られたような乱雑ぶりである事にその時気づいたのだ。
警察官はその後コンビニに行き、駅の広場に行ったが彼はいなかった。
私は朝の4時半に一人駅の広場で返されたのだ。

 すぐ私は駅の近くにある漫画喫茶の個室に行き、8時にいつも通り出社した(偉すぎ、私)。
 漫画喫茶の中で2度とかける予定のなかった実家に電話をかけた。母が出てくれてすべてを話した。
 母は「すぐに実家に戻ってこい。お父さんは私に暴力を振るった事はない。もうあなたは十分彼の為にやった」と言ってくれてそこで初めてボロボロ泣いた。でも家には帰れないとも思った。
 会社の人にも話した。しかもその日は会議が5会議もあり、その分の英語の議事録を書かなくてはいけなかったが何とかやり遂げた。結局彼はその日職場にいて籠っていたらしい。

 1週間経ってやっと落ち着いた。
彼は落ち着いて休職を満喫してどんどん太っていったので、私はBOOKOFFでタニタ食堂のレシピを買い、毎日タニタ食堂の献立を作ることにした。すると彼は10kg痩せたのだ(私はいつも何も変わらないけど)

 結局、件の上司と彼の問題が解決したのかは分からない。が、あの時私が彼に言うべき言葉は「誰が何を言おうがあなたを信じている」だった。これは本当にそうだ。何があっても彼を信じるべきだ。

 私は3月末に残業月150時間程度だったコンサルの仕事を辞めてしまう。
理由はきついから、というより度々の有休に言及されて全部休む為の証明を持ってこいと言われて不服だったからだ。有休は有休なんだから理由の証明が何故必要なのだろうか。迷惑はそれほどかけていないし。でも泣きながら上司と社長の前で退職届のハンコを押させられた。その日は新橋かどこかで飲んだ。

 翌日すっきりした。何を我慢していたんだと思った。
クソな環境だから意固地にならず、止まったら死ぬからとか思わず止まる勇気を持つべきだった。

 彼もすっかり元気になった。それにもう高熱で会社に行く必要もなくなった。
本当に良かった。転職を勧めたくらいだった(彼のキャリアならいくらでもどこへでも行けるし。)

生きていれば御の字。
自分と彼の身が第一優先。周りが何を言おうが、関係ない。

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