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「読みやすくする為の工夫のない本」を創るのはやめよう

何故「自分の文章は読まれる」と思うのか

 図や絵のない、特に個人で作っている方の電子書籍を読んでいる時、「何故自分の文章が人に読まれると思っているんだろう、おめでたい精神ですね」といつも思っている。

個人で作っている電子書籍は大体読みづらい

 個人で作っている方の電子書籍は大体読みづらいので、大抵内容が頭に入ってこない。
 重要なところは太字にもしない、説明する為の図や絵もない。出版社で販売している本は読みやすくする為の工夫を行っている。
 何故「個人出版だから」という理由で、「読者が読みやすくする」為の努力を怠るのであろうか。
 何故「個人出版だから」という理由で、ペラペラの内容の書籍を出せるのであろうか。
 何故「個人出版だから」という理由で、面白くない書籍を出せるのであろうか。

目的がなくても何となく時間を奪う方

 同じようによく「30分や1時間雑談しませんか」というお誘いをコミュニティオーナーである性質上、よく受けるが、恐らく私はやることが大量にあるが、何故私のメリットがないのに貴方の「何となく」のせいで自分の30分や1時間を割かれないといけないのだろうか。
 関係性がある方は割とすぐ応じますが、お誘いをする方は関係性がない方が殆どである。物事には段階が必ずあるのだ。

人の時間を奪っているのだから「価値あるもの」を提供すべきである


 そういう方に対して私は「『自分には話せる権利がある』と思っていて、おめでたい精神ですね、自己肯定感が高くてうらやましい、幸せな人生ですね(なりたくはないですけど)」といつも思っている。

 人の時間を奪っているのだから、本にしろ会話にしろ、その人の為の「価値あるもの」を提供すべきである。

文字のみだと飽きる

 結論から申し上げると、文字のみだと飽きるのである。
 余程面白くないと貴方の文章は読まれない。
 加藤諦三先生の本は図や絵がほぼないが、それは加藤諦三先生の文章が面白いからである。
 まともに本を書いたことがない人間の文章は大抵つまらないのである。

本の内容に関係がある画像を途中で挟むだけでだいぶ違う

 O-dan(https://o-dan.net/ja/など画像検索ソフトで本の内容に関係がある画像を途中で挟むだけでだいぶ違う

読みやすさの改善を行わないと長年執筆は出来ない

 また、作者は3行ごとに改行をして読みやすさに注力している。
 出版当初から作者の本はだいぶ読みやすくなったが、そういう改善を行わないと、8年以上も執筆は出来ない。

「自分の文章は読まれない」前提で書こう

 作者は8年以上出版をしているが、「自分の文章は読まれない」前提で書いている。
 従い、「どのように人に自分の文章に対して気を向かせるか」全力で注力をしている。
 さらに言えばどのような言葉が人々を鼓舞させ、失墜させ、前向きにするのか熟知しているつもりである。

結論「読者」の為の「気遣い」がないと出版はしてはいけない

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