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【ショートショート】6月のカプリチオ

司令室を出て岸壁まで下りると潮風が吹き抜けた。
帽子を飛ばされないように押さえながら、まるで海が緊張している俺の事をからかっている様に感じた。
海上の目をやると港に停泊するカプリチオ号が見える。海水の積載をしている最中だ。
今日、俺は初めてあの機体の主操縦席を任される。
幼い頃からの夢が叶う事に人知れず拳を握りしめた。
「お、誰かと思えば今日が初泣きの新人パイロットじゃねえか。緊張して居ても立っても居られなくなったか」
その声に振り返ると整備バッグを携えた整備士の轍さんが笑顔で立っていた。隣へ並ぶと同じ様にカプリチオを見据えた。
「轍さんは本物を見たことあるんですよね?」視線は機体に置いたまま訊ねた。
「子供の頃にちょっとだけな」汗を拭い轍さんは空を仰ぐ。
「6月に稼働が多いのは昔の名残りなんですよね。研修で習いました」
「理由が無ければ、なるべく昔のままの形を残そうって事だ。今回のプランは?」
「…『恵み』です」
「じゃ気楽にやりゃいいさ。俺の手にかかりゃプランが『滝』でも『バケツ』でも揺りかごの乗り心地を保証してやる。安心して行って来い」
そう言い肩を叩くと轍さんはカプリチオに向かって歩き出した。
「そうそう、カプリチオの意味は知ってるか?」轍さんは立ち止まると少し声を張り上げる。
「いえ、そこは研修に出ませんでした」と正直に答えた。
「『気まぐれ』って意味だ。俺たちは気まぐれを計画的に司る様になっちまったんだな」
2人の間を潮風が吹き抜けた。

300X年。
度重なる気候変動により地球の気象は正常に機能しなくなり雨が降らなくなっていた。
『新気象庁』は科学技術の粋を結集し、僅か数年で気象現象の管理運営を開始した。
雨雲生成型人工降雨飛行船「カプリチオ」は疑似気象予報により計画された各地の空へ向け海上から飛び立つ。

新人パイロットの単独初飛行、通称『初泣き』には生まれ故郷の空を担当させる粋なしきたりがある。
眼下には慣れ親しんだ故郷の町並みが広がる。
両親が営む畑の姿もその目にとらえる事ができた。
目的地上空へ到達すると、操縦桿を握るパイロットは力む指先で「恵み」の数値に合わせ降雨開始ボタンを押下した。

地上では今年の梅雨の到来を告げる雨が振り始めていた。

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