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【ショートショート】そろばん裁判

法廷に検事の声が轟く。
「時代の流れの中で多くのアナログ機器がデジタルへの置換を終え、その役目を終えました」
被告人席のそろばんは俯いたままだ。
「なのにアナログ機器である被告は悠々と居座り続けている。電卓が主流になってもう何年経ったのでしょうか」
傍聴席のデジタル機器達は強く頷いた。
若手弁護士は気もそぞろに隣の空席に目をやった。
本来そこに座っているべき主任弁護人は
少し気になる事があると言ったっきり開廷直前になって何処かへ行ってしまった。
「先輩は一体何処に行ったんだよ…」心の声が思わず漏れる。
「弁護人の反論はありますか」裁判官の声に我に返った。
やむを得ないと腹をくくり立ち上がる。
と同時に背後で扉の開く音が聞こえた。
「先輩!」
「遅れて申し訳ありません。被告のそろばん。全く裁かれる筋合いはありません」
遅れてきた弁護人の突然の一言に場内は混乱した。
「静粛に!」
裁判官の声に法廷は静寂を取り戻す。

「皆さん。そろばんは…デジタルなのです!」
信じられないとばかりに傍聴人席はどよめく。
「弁護人は遅刻したかと思えばいきなり何を言いだすんだ。裁判長!弁護人は根拠の無い事を言って裁判を混乱させています」検事は訴えた。
裁判官は表情を変えず逡巡した。
「訴えを却下します。弁護人は続けて」
「そもそもデジタルとは古い物が機械化され電子機器である事、というのは思い込みです。デジタルやアナログは概念を指しています。
簡単に説明するとアナログとは『情報を連続的に変化する量で表す』事を指します。例えば『アナログ時計の針』や『砂時計の砂』などの連続した変化から我々はおおよその情報を読取る事になります。
一方デジタルは『連続する情報を一定の量で区切って表す』事を指します。デジタル時計は数字という明確な区切りで表現するので我々は正確な時間を読み取る事が可能になります」
弁護人は被告の元に歩み寄る。
「そして、被告そろばんは連続する量の変化を珠という明確な区切りで表現しています。これは立派なデジタルなのです」
しかしと反論をしかけた検事を気迫で圧倒すると弁護人は言葉を重ねた。
「そもそも、私はこの裁判には懐疑的です。デジタルが良くてアナログがダメ、アナログが古いからという理由だけで裁かれる必要が果たしてあるのでしょうか。
デジタルにもアナログにもそれぞれの良さがある。2つが共存していく道があって良いのでは無いのでしょうか」
弁護人は検事の目の前まで歩み寄る。
「検事。貴方もアナログの良さを分かっている1人じゃないですか」
そう言って彼の手元に視線を落とした。彼が装着しているスマートウォッチはアナログ時計の文字盤が表示されている。
検事は無言のまま席に着いた。

静まり返った法廷にパチパチとそろばんのすすり泣く音が響いた。

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