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【ショートショート】タコ足伏線

男は静かに302号室の前に立った。
両親から預かっている合鍵を使いドアノブに手をかけた瞬間、ふと誰かに見られているような感覚に襲われた。
辺りを見回すも人の気配などはなかった。薄気味悪さを覚えながら男は部屋に入った。
この部屋に住む青年が音信不通となり一週間。身を案じた両親からの依頼で男は訪れた。
両親の話では青年は小説家を目指しており、最近はスランプに陥ったようで思うように執筆が進まずひどく悩んでいたようだ。
両親にも立ち入りへの同行を求めたが母親の方の動揺が激しく、やむなく外の車で待機してもらうことにした。万が一の不測の事態があった場合のみ連絡を入れると告げている。
青年の名を呼びながら玄関を上がる。呼びかけは静寂に吸い込まれた。
無意識に鼻孔に意識を集中させている。慎重にミニキッチンとトイレに挟まれた廊下を進むが特に異臭などは感じない。意を決し部屋の扉を開けた。
当然のように青年の姿は無かった。部屋は散らかっていたが、男の一人暮らし特有のもので争った形跡ではなさそうだ。
捨てずに残されたゴミ。タコ足配線の多さなどを横目に青年の性格を察した。
そして男は長年の勘から、この部屋に漂うただならぬ違和感を感じ取っていた。
ふいに散らかった物の間から赤い玉が視界に飛び込んできた。手にとってみると玉から紐が垂れており、持ち上げるとそれはけん玉だった。二十代半ばの青年の年齢を考えると若干の疑問を覚えた。
部屋の中央にある小さなローテーブルの上に何やら書き留められたメモ用紙。そこには書きなぐったような文字で『私の中の鬼。その色は?』と書かれていた。
「これはマズイな…」男のなかで違和感は嫌な予感へと変わりつつあった。だがまだ結論を出すには早い。
さらに部屋の詮索を進めると、ベッドの上に無造作に置かれた一冊の小説が気になった。
手に取りページをめくると何かがハラリと舞い落ちた。どうやら栞代わりに使用していたと見られる写真だった。
そこにはコスモス畑を背景に白いワンピースを着た若い女性の姿が写っていた。裏返すと『Dの仮面が全てを』と記されていた。
男は喉の奥が貼り付くような渇きを覚えた。嫌な予感はだんだんと確信めいた気配を見せはじめる。
部屋に充満した重たい空気を入れ替えるために窓を開けた。そしてベランダを見て男は絶句した。
「これは…ひどい」絞り出すようにつぶやく。ついに男は携帯電話を手に取った。
ベランダの床一面に散らばる大量の将棋の駒を睨みつけながら。

「息子さんの部屋ですが、酷いタコ足伏線です」
「そんな…回収できますか」母親は嗚咽を堪えて言った。
「なんとかやってみます」
そう言うと関西創作保安協会の男は、張られるだけ張られて放置された伏線の回収に取り掛かった。

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