見出し画像

【ショートショート】嘘汁

「ちゃんと腹一杯で来たか」
そんな飲食店にあるまじき挨拶で祖母のような店主に迎えられた。
すぐに店主は奥の厨房に入り、空いている席に着くと店内を見回す。
街の定食屋のような内装だが来店したと言うよりは、田舎に帰省したような感覚のほうが相応しい雰囲気だ。
「ここはコレしか出さんぞな」お冷とお椀を載せたお盆を携えて厨房から店主が再び現れた。
否応にも胸は踊る。なんせ1年に1日しか開店しない、幻の店と呼ばれるこの店の予約が取れたのだから。
湯気が立ち昇るお椀。見た目も匂いも…味噌汁だ。「お母さんこれは何という料理ですか?」
「うそしるだ」
「うそしる…嘘汁?」聞きたい事だらけだったが店主はとっとと厨房の奥に消えてしまった。
呼び止めようと思ったが、百聞は云々と心でつぶやいた。お椀を持つとひと口すする。
美味しい。やはり味噌汁のようだ。でも今まで食べたことのないほろ苦い不思議な味だった。
具だくさんで様々な野菜の味を楽しめ、あっという間に平らげると言いようのない幸福感に満たされた。
すると自然とまぶたが重くなる。睡魔とも違う感覚だが抗うことが出来ずゆっくりと目を閉じた。
すると真っ暗な視界が徐々に明るくなるように、過去の思い出が蘇ってくるではないか。
それもある特定の場面ばかり切り取られている。
人生の中で、自分がついた嘘、そして自分につかれた嘘にまつわる記憶が次々と蘇ってくる。
もう忘れていたことまで誰かが教えてくれるように次々呼び起こされものだから、第三者が介入しているのではないかと戸惑いが襲う。
そしてそれらの一つ一つがふるいに掛けられていくのだ。
「どうして俺は自分可愛さにあんなつまらない嘘をついたんだ」
「今考えれば、あの時のアイツの嘘は俺を庇ってのことだったんじゃないのか」
「母さんは最後まで俺のことを思ってあんなことを言ってたんだな。なぜ気づいてやれなかったんだ」
数分とも数時間とも感じ取れる不思議な時間を過ごし、再び静かに目を開けると頬の涙道に自然と指が伸びる。自分が涙していたことにやっと気づいた。
箸袋に書かれた『方便屋』という店名が目に入る。
嘘も方便…4月1日にしか開店しない店。うそしる…そういうことか。
いつのまにか目の前に店主が立っている。笑顔で店主は言った。

「どうだ。うちの『嘘知る』の味は」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?