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【ショートショート】逢鍵

「悪いね。実はもう作ってないんだ」
深く下げた後頭部に店主の言葉が降り注いだ。
「分かっています。誠に勝手なお願いなのは承知しています。そこを何とかお願いできないでしょうか。代金はいくらでもお支払いし…」
「そうなんだよ。やっぱり勝手なんだよ逢鍵なんてものはさ」
その鍵屋が提供していたとされる不思議な合鍵の存在を知ったのは昨日のこと。居ても立っても居られず駆けつけていた。
「もちろんその気持は分かるよ。こういう言い方をしちゃ何だが、逢いに行くチャンスはあったわけだ。いくらでも。やっぱり石に布団を着せることなんて出来ちゃ駄目な気がしてね。今、この瞬間の価値が下がっちまうじゃないか」
「そうですね…。承知いたしました。お騒がせして申し訳ありませんでした」失礼しましたと再度頭を下げる顔を店主はじっと見つめた。
踵をかえし入口まで来た所で最後、頭を下げるその姿をみながら店主はハッと気付いた。
「ちょっと待て。そうかあんた…そうだったのか…」
しばらく腕を組んで考えた。そして手招きをして机上を指で叩く。涙声で礼を言い、家の鍵を差し出した。

「どうだい、逢えたかい」
逢鍵を手にした、少し興奮気味の男に対して店主は言った。
「はい。本当に驚きました。指示のあった通りにこの鍵で実家の玄関を開けたら、そこに居たんです。いつも通りに母が…」
「しっかり話せたかい。一度きりの魔法だ」男は目頭を押さえながら何度も頷いた。
「でも何故、この鍵を母にだけは作って頂けたのですか」
男はカウンターにそっと逢鍵を置いた。
「そうだな…」店主は目をつむり腕を組み、あの日深々と頭を下げた女性の姿を思い起こした。
「…布団かな」「ふ、ふとん?布団ですか?」
店主は静かに目を開けると逢鍵と並ぶ遺言書に思いを馳せた。
「親が子を想う時、後悔や綺麗事なんて飛び越えた先をいくんじゃないかと思ったんだよ」

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