見出し画像

【ショートショート】調節社会

男は休日出勤の代休を、平日の木曜日に調節した。その方が店も空いており映画などは割引があるためだ。
家族サービスに休日が潰れてしまうことは厭わないのだが、平日とあれば家族それぞれが忙しく、自分の為だけに費やせる。独身時代を思い出しそれはそれで嬉しいものだった。
美容室に予約をとり、その後、気になっていた映画を観に行こうと予定をたてた。
先ずは腹ごしらえと行きつけのカレー屋に入ると迷うことなく『6辛』を注文する。
その店のカレーは最大で10段階の辛さ調節ができ、自分の1番好みの辛さを追求した結果6辛に落ち着いた。
仕事の昼休憩で来ることも多い店で、ついつい癖で流し込むように平らげてしまった。
おかげで美容室の予約の時間まで、まだかなりの余裕があり喫茶店で時間を潰すことにした。
初めて訪れる店で、マスターに好みの味を伝えるとその場で豆をブレンドし、味を調節してくれる本格的な店だった。
落ち着いた雰囲気で居心地もよく、限られた時間を潰すだけでは勿体ないなと感じさせた。またどこかで調節して次はゆっくり訪れたいと思いながらコーヒーを飲み干した。

「それでは始めさせていただきますが、雑談のレベルはどうなさいますか」
美容師はハサミを持つ手を動かす前に尋ねてきた。こういった場所での雑談はあまり得意ではないので必要最低限のレベルを指定する。
おかげで希望の髪型、途中確認の業務的な会話以外話しかけられることはなく、リラックスして過ごすことができた。
スッキリした髪型のおかげか足取りも軽く、映画館までは遠回りになっても普段通らない路地に入ってみたりした。
すると思いがけず神社を見つけた。せっかくなので一礼し鳥居をくぐる。
「おや」
見慣れない風景に一瞬戸惑った。拝殿にはお賽銭箱が3つある。
『お賽銭は該当する信仰心の箱にお入れください』とそれぞれ賽銭箱に松竹梅と書いてある。
信仰心の単位とはいささか謎だったが「ということは、こんな所でも以前にあったのか」と納得し、一瞬迷ったがここは無難に竹の箱にお賽銭を入れ手を合わせた。

「それでは怖さの度合いをお選びください」
今、ちまたで話題沸騰の調節できるホラー映画が今日の目当てだ。
家族と来たら当然向こうに合わせることになるので1人の時に来たかったのだ。
迷わず最大の怖さを選択するつもりだったが土壇場にきて迷いが生じる。
迷った挙げ句、後ろに人が待っているのもあってついつい馴染みのある6の怖さを選択してしまった。

十分楽しめて満足だったが、もうすこし怖くてもよかったな。カレーとは違ったなと思い返しながら帰路についた。
ケーキ屋の前を通りかかると家族の顔が浮かび、自動ドアをくぐった。
「いらっしゃいませ。体重増加の許容量はいかほどでしょうか」と女性店員は言った。
そもそもケーキを欲する人間がそんなこと気にしてられるかと制限なしと答えようとしたが、妻と娘はダイエット中だったっけと脳裏をよぎる。
ここまできて買うのをやめるとも言えず、逡巡し「…いや、やっぱり制限なしで」と答えた。
隣ではご婦人が「この中で1番カロリーの低いケーキはどれかしら」と店員に聞いている。
私は制限なく見た目で美味しそうなケーキを数個選び支払いを済ませた。

ケーキの手土産に妻と娘は歓喜とブーイングの嵐だったが
開封すると「パパにしちゃ、いいセンスしてるね」と好評だった。
「私達がダイエットしてることをちゃんと意識して選んでくれたんだ。珍しい」と妻も意地悪に称える。
どういうことだと箱の中身を覗き込むと注文した商品と全く違っていた。あの隣で注文していた婦人のと取り違えたに違いない。
意に反して家族のポイントを上げること成功したのだが、やはり取り違いには納得が出来ずリビングを離れると携帯を取り出し、少し複雑な気持ちで店に電話を入れた。
事情を説明し、本題に入ろうとした矢先に間髪入れずに「それではお客様。今回のクレームの度合いを事前にお選びください」
「またそれか…」思わず声に出てしまう。
あらゆるクレームを未然に防止する為、昨今は過剰なまでに事前に調節を要する社会になっていた。
そしてその発生することが確定したクレームにすら、調節が入るのだからそれは異常な段階まできていた。
せっかくの充実した休日、後味悪く1日を終えるのは嫌だなと、クレームを取り下げて電話を切った。
「パパ、コーヒーはいったよ。ケーキ食べるよ」と妻の声が聞こえた。
結果オーライとつぶやきリビングへと向かう。
そこにはフルーツがふんだんに使われたフルートタルトが並んだあった。
ふと、私の選んだケーキが手元にいったはずのあのご婦人も今頃クレームをいれているのだろうかとフッとニヤけた。
「何ニヤけてるの。気持ち悪い」年頃の娘の言葉は年々辛辣になっていく。
「なぁ。もし何も気にせず俺が食べたいケーキを買ってきたらどうだった」
「どおって。まあせっかく買ってきてくれたんなら。ねえ」
妻と娘はタルトを頬張りながら笑いあった。
案外婦人も、渋々文句を言いながらもクリームの方を堪能しているかもしれないなと思った。
それこそ別腹と気持ちを調節して。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?