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【ショートショート】兄の背中を追って

私の就職内定祝いで実家の食卓にはご馳走が並ぶ。
「高校、大学に続き遂に会社まで肇兄さんの後を追いかける事になるとはね」
自嘲混じりに言うと兄さんの表情が一瞬だけ曇った様に感じた。
「お父様やお母様の希望にも叶う就職先だ。本当によくがんばったな」そう言い終えた時には笑顔に戻っていた。
「いずれお前が我が財閥を率いる為に必要な基礎を養うのにあそこはもってこいの場所だ。しっかり学んで来い」
妙な事を言ってお父様はグラスのビールを飲み干した。
「そんな…肇兄さんを差し置いて僕がその様な立場になれるはずがありません」
するとお父様はおもむろに立ち上がった。「その事なんだが…」
お母様も黙ってそれに追従し立ち上がる。
「肇、長い間ご苦労だった」「肇さん、本当にご苦労様でした。会社でもこの子の事をよろしくお願いします」
二人は兄さんに向かって頭を下げた。
「そんな、おやめ下さい」と兄さんも立ち上がり深々とそれに応える。
突然始まった他人行儀なやり取り。
呆気にとられていると兄さんは静かにこちらに振り返った。
「実は…私は貴方の兄ではありません」
目の前で兄さんが自分は兄では無いと言っている。自分だけ座っているのが居心地悪く思わず立ち上がる。まったく理解が追いつかない。
「兄さん…一体何の冗談です?」
「私は…貴方が無事に我社に入社しプラン通りの良い人生を送れるよう雇われた人生ペースメーカーです」
「…ペースメーカーってマラソンで先頭集団を引っ張るあの?」
「まさに。無事に貴方を就職まで導くのが私の役目でした。今日を持って終了です」
思わず椅子にへたり込む。幼少期からの兄さんとの確かな思い出が脳裏を駆け巡る。
「物心がつく頃から兄さんは居ました。一体いつから…」
「産まれた時からです」
「そんな…僕が産まれた時から…」「違います」

「私が産まれた時から…です。それでは失礼します」
一礼し兄…と呼んでいた男が部屋を出ていった。
マラソンでは30km付近でペースメーカーは集団から外れる。何故だかその光景が脳裏に浮かぶ。
冷静なのか混乱しているのか判断がつかない。

「そういう事だ。我々の様な選ばれし人間の人生には許されんのだ。失敗や遠回りは」
「大丈夫。肇さんには会社でいつでも会えますから」
両親の声が耳に刺さる。ぼんやりと二人を見据える。

プラン通り…その言葉が心に引っかかる。
もはや私は本当にこの二人の息子なのだろうか。

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