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Y先生との邂逅と、自分への鎮魂

 朝起きて、ふと、Y先生(誰のことか知っている人もいると思いますが、今回はファーストネームのイニシャルだけにします)のことが心に浮かんだ。僕はY先生に刺激されてアメリカに渡ったし、Y先生の思いに影響を受けて、留学を終えた後はアメリカに残らず、日本に帰ってきた。それから20年Y先生はご健在ではあるのだけど、もう公式の場からは完全に退かれ、僕は正直なところ、Y先生がいなくなったある組織に貢献する気持ちは薄らぎつつある…。

 Y先生はウチの父親と同じ世代(80歳前後)で、都会から遠くはなれた北の大地で3人兄弟の末っ子として生まれた。長兄(ちなみにT先生)は柔道整復師に、次男(S先生)と三男(Y先生)はともに大学の教員になった。そして、その次男と三男は長兄が属する柔道整復の業界の資質向上を掲げ、ついには学会を設立させ、「柔道整復学」を構築する道筋を作った。

 
あの頃の柔道整復業界だから、それに協力することでものすごい額のお金が自由に使える立場になったであろうことはなんとなく想像がつくし、その兄弟を「業界の上前をはねていった」と評する諸先輩方がいるのも知ってはいる。が、僕の知るY先生は定年まで勤めあげた大学に近い場所(関東の都心にほど近い…僕の今いる場所と比べればもう…笑)とはいえ、そんなによい立地や豪華な家だ、という話も聞いたことはなく、クルマにしても所有どころか運転もされない方だったし、派手な服装や豪華なアクセサリーの類にはまったく縁のない方だった、したがって「カネに汚い」と評されることには、僕自身は「違う!」と言い返したい。どんな悪評を耳にしても、僕自身はY先生はあの時代の研究者としての浮世離れ感、はあったかもしれないが、私腹を肥やすためにお金を、という人ではなかった、とそういう見方しかできない。

柔道整復師免許を取ったばかりの頃…。ただの不良でした。

 で、僕がはじめてY先生に出会ったのは、今から約30年前、柔道整復師免許を取得したその年のこと。大学を中退して専門学校に入り直し、超低空飛行でなんとか養成校を卒業した僕には、国立大学の教授、というのは雲の上の存在でしかなかった。それが、ある組織の設立の場で、アメリカで勉強したい、と思い始めた僕が勇気を振り絞ってY先生にその旨を打ち明けたとき「誰かが行かなくてはだめだ、組織として支援するくらいで…」と身を乗り出して言葉を返してくださった。もしかしたら…という淡い期待もあって(結局のところ留学は完全自費でした、両親に感謝しています)、以後注意深くY先生の言葉に耳を傾けるようになった、思えば、Y先生は今の僕くらいの年齢だったはず。他にも「養成制度を3年制の専門学校から4年制大学に移行すべきだ」とか、「開業して地域社会に貢献するようになった後も、研究、論文の執筆など科学者としての立ち位置を忘れてはいけない」とかY先生の言う「正論」に当時20代前半だった僕は大いに影響を受けた。

当時すでにNATA会長でもあった恩師、非公式ではありましたが、Y先生と会っていただきました。ところで…今ではATCが徒手療法を使うのは普通になったけど、2000年当時は…でした(笑)

 アメリカに渡ってからも、僕の留学先を訪ねてきてくれて、米国での僕の恩師たちと会っていただいたり、家族全員が夕食をご馳走になったこともあった。留学を終えるとき、(あの時点での自分にとって米国で得られたであろう最高の仕事のオファーを蹴って…今でもあれを受けなかったのを後悔することがある)日本に帰国して大学の教員になろう、と思ったのも、そしてその後のキャリアの選択も、どこかにY先生の柔道整復師への思いが僕の心の中にも飛び火して、消えることなく燃え続けていたからなんだろう、と今振り返って思う。


ここに残るか、日本に帰るか、あのとき迷いに迷いました。

 その後のY先生は、僕と出会ったときに語ってくれた「柔道整復師養成教育の4年制大学化」の道筋は作ったものの、それが実現した後、直接それに関与したのはごくわずかな期間で、また、自らが設立に携わった学術団体からも追われ(まあ、その後もう一つ学会作ってしまうのだから大したものなんだけど、そこからもやはり離れられてしまい…)あの頃Y先生が掲げていた理想には遠く及ばない状況で公の場から退かれたのだとは思う。ただあまりにもY先生のカリスマ性が強すぎて、次の世代が育たなかった(リーダーとなる経験を積めぬまま60代を迎えてしまった…その方々からの認識によると、50代前半の僕はそこからさらに下の世代、になるらしい…笑)。その結果として僕より下の世代になる若者にはもうY先生の理想、はほぼ届かなくなり、一部実現した件は「そもそもそうだった…」くらいの認識となり、それ以外の件についてはただ忘却の彼方へ進んでいくように思える。

落ち着きがないからそうみられないかもしれませんが、僕ももう50歳を過ぎました…

 僕もあのときのY先生の年頃になり、これまでそれなりの経験を積んできたとは思うけど、Y先生のように「世の中を牽引して理想を実現させよう!」というエネルギ―を自分の中からはもう感じなくなっている。私生活面も含めて、この10年で、とくにあのコロナ禍で、正直なところ消耗しきってしまったのだろう。 あの頃のY先生なら、「できない理由ばかり並べるな」とお叱りになるかもしれないが、できない理由ばかり思いついてしまうのは、きっとY先生より「柔道整復界の将来を思う気持ち」が弱かったのだろう、と思うようになってしまった。Y先生と違ってまだ僕はここから少なくとも10年は働けるというのに、心がそれ以上に老いてしまっていることを自覚して悲しくなった今朝のひとときだった。


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Yoshikatsu Ushijima MS ATC
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