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師弟関係?それとも宗教?

 私には師匠と呼べる人が何人かいます。臨床という意味でなら今はとあるMLB球団の医療コーディネーターとなられたRon Porterfield氏、教育・研究の面ではタイトル写真の真ん中にいるRobert Kersey氏、そして組織運営ならびにリーダーシップという意味では全米アスレティックトレーナーズ協会(National Athletic Trainers' Association: NATA)史上初の女性プレジデントとなった Julie Max氏が代表的なところです(もちろん分野ごとに他にも何人かいます、というか自分以外の他人にはどこか必ず学ぶところがあると思っていますが、影響力が大きかったという意味であげています)。

恩師 Julie Max氏に「選手を甘やかさないで」と詰められる筆者
(額の汗をぬぐった袖が語ってます)

 留学を終え、帰国したある日、ある現場で関連する業種の教員と教え子の関係を目にして、すごく違和感を感じました…というのも
師匠:「君たちは、今の僕の領域には決してたどり着けない!」
と、それに対して
弟子たち:「めっそうもございません、先生の域にたどり着けるとは僕たち夢にも思っていません!」
とどちらもそう公言して憚らない集団だったのです。弟子たちにとって師匠は神様、超えられない存在、そう、もはやそれは宗教になっていたんですね。(もしかしたら師匠のほうは、弟子に反発心を持たせたくてそう言っていたのかも、と最近は思うようになりました、いやそうであってほしい…)

 私も今は大学で教える教育者ですが、師たるもの、自らを超える弟子を育ててはじめて教育者と呼ばれる、とそう信じています。例えば水泳のコーチを想像してみてください、コーチの現役時代(過去)の記録すら破れない選手しか育てられなかったとしたら、今の競技レベルで通用しますか?日進月歩の競技の世界では「無能な指導者」と評されるかもしれません。

この研修(2010年)に限らず歴代のアメリカ研修組からは結構人材が育ったと思ってます

 その後私は、途中ブランクを数回挟み、今年で足かけ15年目の教員生活に入りますが、幸せなことに何人かは私を踏み台にして私が体験しえない世界に飛び出して行きました。卒業後米国にわたり現地の資格を取って開業した教え子(33歳)にはじまり、最近では米国に留学して競技を続けるだけに飽き足らず、そこからさらに別の国の大学に編入してそこでも競技者チャレンジする23歳まで、私と関わりのある教え子なら、どこかなにか必ず、ある分野で師匠の私を超えているところがあってほしいと願っています。

Ron Porterfield氏、この人と仕事しているうちは選手が死ぬなんてありえない、
とまで思えるほどの安心感で、私もそう思われる存在になりたい、と心から思いました。

 このnoteを何人の教え子が読んでくれているかはわかりませんが、「老いては子に従え」と言います。先頭を教え子に任せて、後をついていけばいい時代が来てくれるのを楽しみにまた2023年度も教育に励むことにします。

そういう私は上にあげた3人の師匠を未だに超えられずにいるのですが(汗)。


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