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「働く=幸せ」な時と、そうじゃない時があるものだよ

「休職中」をしばらく続けていて感じることは、今の自分は本当に働きたくないんだな、ってこと。
正確に言うと、勤め人はしばらくいいや、という気分。

最近、年齢的に中高年の話題に目がとまることも多く、「70代を超えても働けることは、イコール幸せ」みたいな発言もよく見ます。

特に高齢者社会で、かつ人手不足と言われている世の中。
シニアが活躍できる場があることは素晴らしいし、「人から感謝される」「人の役に立つ」ことで、高齢になっても心と体の健康を保つことができる世の中は理想的だと思います。

こういう人たちは、もはやお金のために働いているわけではないのでしょうね。

最低賃金でも全く文句はないし、何なら楽しくてやりがいがある仕事なら、無償でも「やらせてください」と言いそうです。

働きたくないフェーズ

働く高齢者の話はいったん置いといて。

適応障害と診断され、休職することになった現在。

今の状況は、勤めに行ってデスクにつき、何らかの役目の業務を行う、っていうような、普通のビジネスマンが日常的にやっていることができそうにありませぬ。正直なところ。

特に、ミーティング(会議)を想像するとダメですね。
以前はごく普通にやっていたはずなんですけどね。
不思議なもので。

毎日、同じ道を何十分もかけて通勤する、っていうことも、考えられなくなっています。

夕方に犬の散歩に行った後、家族と夕食を食べて、食器洗いをして、風呂の準備をして、時計を見ると夜の9時くらいになっていて。

休職する前は、毎日毎日こんな時間まで会社で仕事をしていたのか、とちょっとびっくりしたり。
よくやっていたものだよ。

働かないわけではない

「働く=会社勤めをすること」とは限りません。

家にいても、洗濯や掃除、料理に食器洗い、倉庫の片付け、食料や日用品の買物、草刈り、木の剪定など、日々やることはいろいろあります。

賃金が出ないというだけであって、自分の仕事、役割として「働いている」と言えなくもないです。

変な例ですが、サザエさんに出てくるフネさんは就職していません。
波平さんの稼ぎで暮らしています。

でも、フネさんを「役立たず」呼ばわりする人はいないと思います。
むしろ「働き者」のように見えます。
ちなみに、おばあさんっぽく見えますが、年齢は50過ぎだそうです。

専業主婦が一般的だった昭和の話、と言われればそれまでですが、日々を生きるということと、勤めに出るということは、必ずしもリンクしている必要はないってこと。

今の自分は働かないフェーズに過ぎないということです。

人生はフェーズの波のようなもの

フェーズというのは、段階とか局面、というような意味です。

・私生活を多少犠牲にしても、バリバリ働いて稼ぐフェーズ
・仕事をセーブor停止して、自分や家族のために時間を使うフェーズ

のように、1つの人生の中でも、あっちこっちに振れ幅があるのが、今の時代は自然なことのような気がしています。

一昔前であれば、男性は就職から定年まで、1つの会社で働き続け、家庭のことは奥さんに任せる。
奥さんは結婚まで働いて、結婚・出産で退職、子育中は家庭を守る。
子供が独立して時間ができたら、スーパーのパートなどをする。
――のような家庭が、1つのモデルケースだったかもしれません。

日本が成長を続けていた時代なら成立していたでしょうが、今のように、不確実で不安定な時代では、そんな一生を送るのは困難です。
その時々の状況に合わせて、働き方や生き方を随時変えていく必要があります。

幸せを求めての選択

人の生き方に正解はありませんが、抽象度を上げていくと、「幸せな人生を送る」ことが誰しも最終的な目標ではないでしょうか。

人生のいろんな局面で、損得ではなく、どうすればより幸せに近づくか、という基準で、選択したり、微調整したり、困難に立ち向かったりしているはずです。

「働くことが幸せ」な時期もあれば、「働かない幸せ」を感じる時期もあるということです。

そうは言っても、仕事しないと生活できないじゃないか、という意見もあるでしょうが、それはまた別の話。

人生の選択肢を増やすために、貯蓄や投資が必要なのですが、その情報は世の中に無限にあるので、そちらにお任せするとして。

今日はこのへんで。

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