那智勝浦町昔懐かし話 第16話


第16話『勝浦温泉花火大会の中止 2』
 
第15話の続き。張り巡らされたロープに沿って岸壁を担当者が見廻り続ける。那智湾の時は、次の日の朝掃除をすれば良かったが、勝浦湾の時は、次の朝から市場で競りが行われる。夜9時に終わり岸壁に張り巡らしたロープは丸濱組が片付けてくれたが、それ以外は全スタッフで片付け、きれいに道や会場内を掃除しなければならない。スタッフは、帰宅が夜12時をすぎるのはあたりまえだった。そんな感じで11年間携わったが年々警備体制の規制は厳しくなっていった。また、景気も悪くなってきて僕ら観光協会は約130件ぐらい職員5人で寄付集めにまわっていたが、(他の団体の方々も必死で何十件も集めていた)が、「すいません。観光協会です。花火の寄付をお願いしに来ました。よろしくお願いいたします」と深々と頭を下げて廻っても「この不景気に花火に寄付らできるか。」と怒鳴られても、「なんとかお願いできませんか」と何回も通ったり「今年は、出したるけど来年は来るなよ」とか言われ続けた。それでも僕ら共催の団体は「ありがとうございます。」と花火大会を成功させるため深々と頭を下げ続けたのである。「なんで、こんなにぼろくそ言われなやあかんねん」と事務所に帰ってきた皆は言っていたが、その何分後かには、また出かけていった。
そんな中、平成13年7月にあの明石花火大会での事故が起こった。その翌年の実行委員会で当然警備体制の強化が議題にでた。その日は特別に町長も出席していて、ある警備関係の幹部の方が、「今年の花火大会は、もっと実行委員会の方々に見回りを強化してもらわなあかんですね」と発言した。その時いつもは温厚な町長は、テーブルをバーンと叩き立ち上がって「見回りは実行委員会の皆さんじゃなく、君ら警備関係の仕事やろうが。君らがそんな気持ちでどうするんな」と大声で言った。それぐらいその年の花火大会開催には、ぴりぴりしていたのである。そして、その年の花火は無事終わった。そして、2年後の平成16年8月1日の花火も無事終わった。しかし平成14年から問題となっていた開催責任者の責任、そして年々むずかしくなってきていた運営資金集め、より厳しくなってきている警備等の規制を含んだ話し合いを平成16年秋に当時共催だった那智勝浦町観光協会、那智勝浦町商工会(現南紀くろしお商工会)、南紀勝浦温泉旅館組合、南紀湯川温泉旅館組合、勝浦漁業協同組合、那智漁業協同組合の代表者が集まり行い、苦渋の決断だが「今後この団体の代表の誰かが実行委員長になり全責任を負うことはむずかしい。また、我々団体だけでは運営資金の確保もむずかしい。」という理由で平成17年からの勝浦温泉花火大会を中止としたのである。他の協力団体やマスコミには、上記団体の連名で通知を出した。
これが、勝浦温泉花火大会が中止になったいきさつである。それから何年かたち今は役場が中心となって町民で行う花火大会となっている。本来町民の協力が不可欠なのである。非常に失礼な言い方になってしまうが、僕たち共催団体が中止にしたときは、花火大会を行うには町民の協力が足りなかったのである。この花火大会中止を良き教訓として町民全体で協力し今の花火大会がいつまでも続くことを1町民として願っている。
第16話おわり
 

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