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トホホなニューヨーク旅行記

はじめに

はじめまして。ピアノ弾き語りラッパーのセンチメンタル岡田と申します。これから書く手記は、皆さまが海外に行く時に役立つ情報とは程遠い、失敗にはじまり、失敗で終わった、トホホなニューヨーク旅行記です。

皆様に、「こんなやつでも海外旅行ができるんだ」という安心感を与えるという意味では、役に立つかもしれません。

最初の失敗

2019年秋、東京での音楽活動に行き詰まり、「名前を英語表記にしたら売れるかもしれない、でも、日本語の名前も愛着があるし...」などと毎日ウダウダ言っていたら、しびれを切らした妻が「そんなに英語にこだわるなら、いっそ海外に行ってこい!!」と、貧しい我が家の全財産を私に託し、単身ニューヨークへと渡らせてくれました。

同年9月24日。
中国経由でJFK空港に降り立った私は、イエローキャブに乗り、クイーンズからブルックリンへ、ブルックリンからウィリアムズバーグ橋を渡り、マンハッタン南部はイースト・ビレッジの宿に到着しました。

早速、妻に電話して、無事に到着した旨を伝え、雑談をしていたら、ニューヨークで生活するためのお金を預けていた銀行口座の、4ケタの暗証番号を忘れ、それをメモしていたノートも飛行機に置き忘れていたことに気がつきました。

私は青ざめ、電話の向こうで妻も青ざめ、「どうすんの?」という乾いた声が冷たく響きました。

そののち妻が、空港、税関、カード会社、航空会社の窓口に連絡してくれました。

空港にノートは届いておらず、カード会社とは、

「4ケタの暗証番号ですよね?ご主人、覚えてらっしゃらないのですか?何かにちなんだ、覚えやすいものにしているとか...」

「適当な番号に決めてノートに書いて、そのノートを失くしたんですよ。信じられないかもしれませんが、夫はそういう人なんです。」

という問答がなされ、暗証番号の変更の手続きも、本人が銀行に行かないとできないとのことで、ニューヨーク滞在中には、その口座は使えないということになりました。

そのとき、私の手元には200ドルほどしかありませんでした。帰りの航空便は1ヶ月後です。

これで、路上で演奏して稼いで帰ってくる、ということになればかっこよかったのですが、チキンである私にそんなことができるはずもなく、泣いて、電話で妻にすがりつきました。「お金を送ってください」と。

場所や名前を変えてみれば売れるかもしれないと思ったのですが、それらは関係なく、こんな人間だから売れないのだと思いました。

全財産が私の引き出せない口座に入っていたため、妻は、ムスメの定期預金を一部解約し、ウェスタンユニオンと言う海外送金窓口を使って送金してくれることになりました。

最後の失敗

そののちニューヨークでは、オープンマイクを巡ったり、一瞬ホームレスになったり、この原稿を依頼してくださった方に出会ったりと、いろいろあったのですが、それらのことは、こちらの日記に詳しいので、ここでは割愛するとして、私の最後の失敗を書きます。

ニューヨーク最終日。私は、とあるジャズピアニストの厚意によって、クイーンズの部屋に泊まっていました。

JFK空港から、行きと同じく、中国を経由して帰国する便に間に合うように、私は早めに家を出ました。

帰りは電車で空港に向かいましたが、思ったより空港まで時間がかかり、あろうことか、飛行機を逃してしまいました。

海外で飛行機を逃すというのは、国内で電車を逃すようなこととはわけが違っていて、なんとか代替便を窓口で探してもらいましたが、30万円だとか40万円だとか、値段の高いものばかりで、もう貯金はないですし、手が出なく、万策尽きて、「もう終わった。帰れない」と思いました。

妻に状況を伝えると、怒り、呆れながらも、なんとか方法を探してくれました。

そのとき、時刻は夜だったのですが、明朝に出る、15万円ほどの、ハワイ経由で羽田に着く便を妻が見つけました。

しかし妻が管理している家の口座には、もうお金がないので、妻は翌月払いのクレジットカード決済で、その便のオンラインチケットを購入し、私に送ってくれました。

「翌月の支払い分は、帰国してから自分で用意しろ」とのことで、私はさらに借金を重ねました。

空港で夜を明かし、明朝、その便に乗りました。経由地のハワイはホノルルで、昼でした。

トランジットの時間が3時間ほどあったので、空港内を歩き回りました。

開けた場所にくると、ハワイの暖かな風と、やわらかな日差しを浴び、ヤシの木がゆれていたりして、とてものどかで、同じアメリカでも、わりと殺伐とした雰囲気のJFK空港とはぜんぜん違うんだなあ。などと思いながら、重ねた借金でたどり着いた場所で、リゾート気分を満喫しました。

時間がきたので、乗り継ぎの飛行機に搭乗し、夜に羽田空港に到着しました。そのときの安堵感といったら、言いようもないくらいでした。

そしてバスに乗り、最寄駅で降りて、歩いて自宅に到着し、泥棒のように、こっそりと家に入りました。妻が鬼の形相で迎えました。

後日、事の顛末を実母に話すと、彼女が、私が将来何かあったときのために貯めておいたお金から、帰国便の代金15万円を引き出してくれて、妻に渡しました。

この返済をうけて、妻は、はじめて「おかえり」と言ってくれました。

まとめ

以上が、私の、失敗にはじまり、失敗に終わったニューヨーク旅行記です。

この体験を踏まえて、これから海外を旅する方々に伝えたいことは、

・海外ATMで使うカードの暗証番号を忘れない
・帰りの飛行機に乗り遅れない

という2点です。

ですが、2点とも、ごく当たり前のことなので、この旅行記からわかることは、

「当たり前のことすらできない者が海外旅行をしても、案外無事に帰ってこられる」

ということでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



センチメンタル岡田(sentimental okada)

▼センチメンタル岡田プロフィール詳細

ピアノ弾き語りラッパー。
iTunes、spotifyなど各種ストリーミングサービスにて音源が配信中。

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