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米国会計士、IT企業CFO、落語Association of America 理事、そしてyosemic の共同代表としての自己紹介

yosemic 共同代表である僕の自己紹介を簡単にしたい。
(きっと簡単に終わらない)

基本情報

東京生まれ、東京育ち。28歳。2人兄弟の長男に生まれる。現在は結婚し今月産まれたばかりの息子と3人暮らしだ。

大学まで日本にいて、日本で就職をせず、大学院留学のために渡米をした。
卒業後はいくつかの会計事務所を経て、独立した。周りと比べたら早い独立だったように思う。

現在はニューヨーク拠点に会計事務所を経営しつつ、Recursion というコンピューターサイエンスを教える学習プラットフォームを提供しているエドテックでCFOとして仕事しつつ、Rakugo(落語)Association of America というs組織の理事 兼 CFOとして活動しつつ、このyosemic の共同代表をしている。

表現に興味をもつようになったのは

表現活動、芸術、アートなどに最初に興味をもつようになったのは、ニューヨークに移り住んでからだ。
詳細は、いつもお世話になっているロバート下北沢さんのインタビュー記事に載っているが、まだ社会人なりたてでニューヨークでシェアハウスしていた頃のシェアメイトが、彫刻家、画家、ピアニストだったのだ。
今思えば、稀有な経験だと思う。

社会人として軌道に乗り始めたと同時に、全ての時間を仕事に注いでいた。
それはもう狂ったように働いていた。

売上も社内で1番になり、会社史上最年少でマネージャーに昇格し、25, 26歳の頃には年収4桁万円もゆうに突破し、狂ったように働いていた時期が続いた時、緊張の糸がプツンと切れたように、仕事に対してのモチベーションがなくなる時期がきた。

それから少しづつ仕事外の時間を設けるようにした。リフレッシュのつもりであった。

そんな中出会ったのが、yosemic だ。

yosemicとの出会い

肩書きは共同代表ではあるものの、僕はyosemic の発起人ではない。

最初の会ったのは、とあるニューヨークに住む若い日本人同士の交流会だ。その時に会った響とは、年が近いということもあり、仲良くなった。その後、時が経ち、yosemicという活動をしているのだよね、という話を聞いた。

故郷を離れ、表現者としてニューヨークに住み始めた同世代の日本人アーティストが、オープンマイクイベントをやっていて、
あ、こーゆー生き方もあるのかと、それが最初に思った感想であった。

話を聞いているうちに、何かできることはないかなと思い、少しばかり資金的な面で援助をすることにした。特にイベントの手伝い等をすることはなかった。あくまで金銭的なサポートをしていたにすぎない。

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ニューヨークのイマジンの碑

アーティストが抱える課題

金銭的なサポートをしていたが、色々と思う部分も結構あった。特にアーティストが抱える課題、お金に対する意識だ。

自分のやりたいこと vs お金 という構図は、アーティストにとって常に付きまとう(アーティストに限った話ではないが)。

どんなに理想を掲げようとも、現実から目を背ければ、できることもできない。理想と現実のバランスは非常に大切である。

コロナで変わった当事者意識

コロナ前までは、金銭的なサポートのみをしてて、とりわけ活動に何か関与していることはなかった。ただ色々と思う部分もあったし、自らお金を出しているわけで、自分なりにできることを探していた。そんな中コロナが起こった。

ロックダウン、劇場、ライブハウス、ギャラリーは閉まり、表現者は行き場を失った。

このままだとyosemicもきついなと、、、、

(続きは気が向いた時に書きまする)

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