「また明日ね!」という言葉は「小さな約束」なんだ
「大人になって言わなくなったセリフ選手権」ノミネート作品発表会場にお集まりのみなさま、お待たせいたしました。最優秀賞作品の発表です。
最優秀賞はなんと、、、
「また明日ね!」
です!!
「先生!プリント1枚足りません」
「ねぇ、好きな人いる?」
を抑え、堂々の入賞を果たしました。各審査員からも、コメントを多くいただいております。
・・・
この選手権やってほしいね。
さておき、こんな風に「大人になって言わなくなったけど実はぬくもりが溢れてた言葉」って意外とある。
先日、こんなことがあった。
🚶♂️
ぼくは週末はテニスをしている。土曜日曜と連続ですることもある。土曜の練習後、あるメンバーの1人がラケットをカバンにしまいながら、こう言った。
「明日はさ、何時からやる?」
「明日もテニスする?」ではない。もうテニスすることは決まっているのだ。こんな「一緒にいるのが当たり前」になる空気感は心地よい。
「朝9時からやろう。」
「え?早くない?」
ケラケラと軽い笑い声を響かせながら、メンバーたちは身支度を済ませる。リュックをリズミカルに背負い直し、帰路についたメンバーは言った。
「んじゃ、また明日な!」
そのとき、あたたかな、じわ〜とした感覚が心を包んだ。「明日も当たり前にこの人たちと会えるんだ」という安心感。そしてそれを、こんなにシンプルな言葉で約束できるんだ。こんな感覚、しばらく忘れていた。
社会人になると「毎日顔を合わせる人」はクラスの友達じゃなくて、会社の同僚になる。でも、退社後に同僚に「また明日ね!」とか先輩に「また明日です!」とか言わない。「お疲れ様です!」という言葉に置き換えられている。
なんなら大学生でも、あまり使わない。大学や専攻によるだろうが、授業は人それぞれなので、毎日顔を合わせる人は少ない。というか大学生から使い始める「おつかれ!」ってなんなんやろね。飲み会の後ですら「おつかれ!」って別れるけど、何を労ってるんだろう。肝臓に対しての「おつかれ!」っていう意味なのかな。
話がそれました。戻すね。
そうやって「また明日ね!」という「小さな約束」は出番を少なくしていく。
でも実は、この約束はすごい。「当然に存在するつながり」を言葉という形で残してくれる。別れてみんなはそれぞれの家に帰るが、「また明日」という言葉が、また次の日にみんなを引き合わせてくれる。見えないけど、強く優しい糸がそこにある。
そこにいるみんなにとっては当たり前の言葉だけど、当たり前を創るのは難しい。大人になって、職場以外で当たり前に会える存在を見つけるのは至難の業だ。
そんな小さな約束が言えること、言ってもらえること、に幸せを見出す人でいたい。
みなさんには、好きな約束の言葉はありますか?「また明日」以外にもあるかもしれない。約束に聞こえなくても、実は約束かもしれない。
あ、もう1個あった。好きな小さな約束。聞いて聞いて。
お気に入りの飲食店で
「また来ますね!」
って言うの。これも小さな約束だよね。たくさん使おう。
小さな約束、他にも知りたいな。
じゃあ、みなさん、
また明日ね!!
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