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ニート卒業

 
 

 本日4月1日、大学校舎にて学生証を受け取った私は晴れて大学生となることができました。昨年の3月に高校を卒業し、およそ1年の空白期間を経ての大学進学に至ったわけでありますが、その間私がどのように過ごしなにを考えて生きていたかを簡単に書こうと思います。

 note初投稿になりますが文章力を鍛えるために、今後も書いていこうと思っております。フォローしていただければ幸いです。




 ~放埒な高校生活~

 生活の中心をサッカーとウイニングイレブンに置いてしまった高校時代は、私は勉強のべの字もないクソ高校生でした。帰って飯食って風呂入って携帯いじりながら寝る。この繰り返しを2年以上継続しました。当時は大学のことなど意識していたのか、今ではわかりません。学年で下から5番目をとったこともあるし(317位)、古典や数学の評定はいつも10段階の2。ギリギリで留年を免れるような成績でした。それでいて特に危機感なんてない。将来の心配もせず日々スマホを触る。よく言えば毎日に集中していたし、悪く言えばなにも考えてない。絶対に後者です。当然推薦なんてもらえるわけがないので徐々に受験を意識し始めます。周りの受験ムードに自分も乗っかる形でした。

 高3の秋に部活動を引退し短期ではありますが受験勉強に取り組みます。塾には通っておらず、高校の自習室に入り浸る日々を3ヶ月ほど過ごしました。その頃には私大文系型に切り替わっていた(数学ができない)私は持ち前の確証のない自信を武器に、みるみる成績を向上させ、ついに、志望校にはすべて落ちました。

 
「落ちるんかい。」


 なるほど、これが大学受験かと。今までの高校生活を集約して大学にフラレた気分でした。そんな体たらくでようノコノコと受験してきたな愚か者目が。そう告げられた気がしました。そううまくはいかねえな。しばらくの放心状態の後、すぐにやってくる浪人生活を想像していると、だんだんと悔しさで涙がこぼれてきました。


「変わらなければならない。」


 一般的に挫折といわれる受験失敗ではありますが、挫折は我々に多くの気づきをもたらしてくれます。自分を根本的に変える必要があると感じた私は宅浪をするという決断をしました。計画性、自己管理能力、主体性を自らにつけようという狙いでした。予備校にいくお金がなかったからではありません。あくまで自分のための決断です。しかしこれは大変に大きな決断でした。なにをしてもいい、またなにもしなくてもいい日々。なにも自分を導く存在のいない毎日に私は苦しめられることになるのです。




  ~コロナ禍と宅浪生活~


 未曾有のウイルス蔓延により緊急事態宣言が発令された日本でしたが、私は図らずもイギリスに負けず劣らずの自己ロックダウンを敢行していました。というよりそうするしかありません。図書館閉まってるし。


 これがまた難しいもので宅浪というのはつまり今日もひとり明日もひとりなわけですから、競争相手や比較対象がいないのです。必然的に自分対自分の比較になります。今日の自分より明日の自分。だれかそんなこと言ってた気がしますが、ほんとにその通りでこれが一番効果的で難しい競争です。


 ひとりというのは寂しいものですが、人は根源的にはひとりなんだなと感じることも多くなりました。俗世と離れた環境で毎日自分を見つめる。大変に恐ろしい日々でした。こんなの常人なら頭のおかしくなることでしょう。それが可能だったのは私の頭がおかしかったからです。

ウィリー



 私の勉強の軸はYouTubeです。英語、世界史、古典などYouTube上には数多くの優秀な先生方がいらっしゃいます。基本的なことから発展まで、もうこれで間に合います。それでいてお金がかからないのでこんな便利なことはありません。いい時代です。オンライン教育大賛成!

YouTube大学


 
 そうはいってもなかなかすぐに勉強リズムを作ることは難しく、気を紛らわせるため3ヶ月ほどセブンイレブンでバイトをしていました。バイトというものは人生で初めての経験だったわけですがここまで楽しくないものかという感想です。コンビニだからでしょうか。機械的作業の創造性のなさが怖くなりました。自分はいま人間なのだろうかとも思い始めてきました。考えすぎですね。パートのおばさん達とのおしゃべりが辛くて長続きしませんでした。このあたりの低いコミュニケーションスキルも私の課題のひとつであります。

 

 徐々に勉強リズムは出来てくるわけですが、なかなか模試(自分で受けに行く)の判定がよくありません。E,C,Cみたいな。英会話かよ。浪人生ってAとかBが普通なんじゃないの。徐々に不安が募ってきます。浪人生は判定でしか自信を手に入れることはできません。このままだとまた確証のない自信どころかなにもポジティブな要素が持てなくなります。当然友人にも心配されました。

「お前まじで大丈夫なの?」
「今からでも予備校入れって遅くねえから」
「やばくねお前笑」


 うっさいんじゃボケ。
思わず自分のなかの南野拓実が出てきてしまいそうになりましたが、なんとか平静を保ち、「いやあ。やばいかもなあ笑」と返します。心配なのか嘲笑なのか真意はわかりかねますが、彼らのいうとおりです。しかし自らを変える決心をした手前、簡単に諦めるわけにはいきません。


 図書館が開放されると毎日朝から入り浸り勉強時間が14時間を超える日も出てきました。計画性、主体性については成長が感じられるようになってきました。しかし評定は思うようには向上しません。またしてもそううまくはいかない。

 ある模試の日の夜、最低レベルの結果を叩き出した際に私はついに発狂し、気がつくと虎になっていれば李陵でしたが、そうはせずに結果をしっかりと受け止め、やみくもに量をやりゃいいってもんじゃないなと気づきました。要は効率なんですね。人生と一緒。(?)


やはり挫折は気づきをくれます。



中島敦




  ~受験~


 その日やったことを寝る前に1時間かけて振り返り、翌朝もちらちら眺めるというリズムをつくることにより記憶がかなり定着するようになりました。判定自体はあまり上がってきませんでしたが赤本などでは合格点を越すことが多くなってきました。今日の自分より明日の自分。根拠こそありませんが自信は大きくなっていきます。

 浪人生は受験のことしか頭にありませんからクリスマスに図書館の横の席で高校生カップルがいちゃいちゃしていようとお構いなしで勉強をします。(あれは辛かった)

 月日が流れるのはやはり早いもので年を越し、いよいよ共通テストを迎えます。自分でも驚くほど緊張しましたが、結果からいうとあまりとれませんでした。3教科受験で英語をミスるのは致命的ですがそれをやっちまいました。これは切り替えるしかないだけです。ここでくよくよしたらまずい。自信だ。自信を持て。

 
 結局ここでも私は根拠のないまま強い自信を持ち受験に挑むことになりました。1年で人はそうは変わらない。しかし昨年よりもその自信は強く大きくなっていました。それはこの特別な1年の成果の賜だと思っています。

 
 すぐに私大の受験が始まり、緊張から夜も8時間しか眠れぬ日々を涙ながらに切り抜け、明治の全学部統一で合格していることが判明しました。


 「受かった?なぜ?」


 最も自信のなかった試験での合格はまさに驚きです。詳細は省きますが自信がわりとあった試験はほとんど落ちました。なるほど自信とはわけのわからぬものです。C判定は50%程度の確率といわれてるので、つまり半分は運での合格です。


 「それがなんじゃい。運も実力のうち。」


そう言ってしまえばいいのです。人生は結果論。だらだら勉強してようと血ヘド吐き勉強しようと受かった人間のやったことは正しいのです。明治は勝ちではないという高学歴のみなさんの意見は一切受け付けません。とにかくうれしかった。



 ~夢の大学生~

 2月3月は思いっきり知り合いや友達に祝ってもらい(奢ってくれても良くない?)、バイトの金をすべて費やして友達と京都、北海道に旅行にいきました。ほんとは海外でも行きたかったですがこの状況下日本をまた深く知るのもいいなと感じた次第です。


 合格判明後というもの、空が青く、飯がうまく、女の子がかわいく感じます。圧倒的開放感。毎日が楽しい。大学はもっと楽しいぞ。そんな意見もいただきました。


 世界を経済的な視野を持って見渡すためにこれからは苦手な数学的思考を極めていかなければなりません。その際はなにが大事か。もちろん、根拠のない自信です。人生なんとかなる。俺はそれで生きぬいていくんじゃ。そういう人間がいてもいいと思います。


 多大な社会貢献ができる人物になるにはある程度の資本と人生のフォロワーを獲得することが必要だと考えています。今回の合格をゴールではなく、長い人生の成長ストーリーの一部にできるように、今後とも精進していこうと思っています。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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