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自己嫌悪は自分にやさしい

これは鴻上尚史さんがニュースサイトの企画である「人生相談」の中で、"自分のすべてに自信がない”と悩む女性へ贈っていた言葉。            それが自分に突き刺さってしまった。                (正確には「自己嫌悪は自己にやさしい」と書かれていました)

「そんなことないよ」待ち                      

あんなに苦しんでいるのに、一体どういうことなの?それは予防線を張れるから。自分を守るために、傷つかないように。

「どうせ自分は性格よくないし」「どうせあの人に比べてスタイルよくないし」、それら言葉の裏には「そんなことないよ」と言ってほしい、そういう心理が隠されている。そう言ってもらえると、自分が変わらなくていいからラクなのだ。                           

痛すぎるところを突かれたけど、確かにそうだったかもしれない。    自己嫌悪なんて数え切れないほどしてきたから、その習性はとっくに染み付いているはず。いろいろな経験を経てある程度自分の力量も分かるからこそ、無意識にそういうバイアスを張ってしまうのもあるんだろうな。

悩むことと思考する(考える)ことは別              

自己嫌悪している時に、「これが嫌、あれが嫌、どうしよう」      そんなことをぐるぐる思い巡らせているのは、ただ「悩んでいる」状態。

そうじゃなくて、「これが嫌だけど、じゃあこの状況をどう打開していこうか」やり方を調べたり考えたり実践してみるのが「思考」。

似ているようで、まったく違う。悩む行為はそれで終わりだけど、思考はその先に行けるんじゃないだろうか。次につなげられるんじゃないだろうか。恥ずかしながら私は圧倒的に前者だし、そういう時間を過ごしてきてしまった。あ、また自己嫌悪(汗)。でも今、このことを自覚できてよかった。生産性の無い時間を少しは減らしていかなくちゃ。

自分を変えるのは大変だし勇気がいる

自己嫌悪で自分を守ってきた人間にとって、誰かのアドバイス(言葉)を受け止めて考えることは、勇気がいると思う。自分が変わらなくちゃいけないし、きっと傷つくこともあるだろうから。でもちゃんと向き合うことで新しい発見や、視野が広がるかもしれない。

結構いい歳なので、近頃は誰かに何かを言われることも少なくなってしまった。昔はいろいろ言われることもあったけど、そんなに真剣に聞いていただろうか。そう考えると、ちょっともったいないことをしたかな。

自信は持つか持たないか、根拠はいらない

自己嫌悪する人には自信がない人が多いと思う。私もそのひとり。でも自信を持つのに根拠は要らないって、誰だって自由に持っていいものなんだと、ここ数年で知りました。

努力や練習を積み重ねて自信を持つ人は多いと思うけど、それをしても自信を持てない人がいる。それはやはり、失敗するのが怖いから、恥ずかしいから、そうやって自分を守りたいから、なんですよね。はい、そうです、自分です。

人間だから、自己嫌悪することがきっとこれからもある。もちろん悩むと思う。でもそこに「思考する」をプラスしていこう。うまくできなくても。(これも予防線?)




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