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7月31日の日記「無職」

7月が終わる。

会社から解放されたという喜びもつかの間、何も義務が無い状態というのは結構キツイ。

朝ご飯を食べる。
正直必要ない。なぜなら大したことをしないから。

観葉植物に水をやって、日差しに当ててやった。
乾いた土が少し湿って、茶色が黒になる。
ついあげすぎてしまいそうになる。
人生の手応えみたいなものは、わかりやすく色が変わったりしない。
(会社員をクビになったので、僕は今”無色”なんですけども。)
だからどれだけ頑張ったら良いのか、どれだけ手を抜いて良いのか分からない。
つい水をあげすぎて根腐れしてしまった事がある。
良かれと思った一言で人を傷つけてしまったときのような、言い訳したくなるあの気持ち。

お昼ご飯の時間になっても食べる気がしない。
腹が減っていない。
思えば真に空腹を感じたことは無い気がする。
どうしたって恵まれた国、家に生まれたから、お腹が空いたとはいえ、望めばお腹いっぱいにはなれる。空腹とはいえ今日食べるものも、明日食べるものも無いし、手に入る見込みもない、みたいなそういう暗闇のような空腹にさらされたことは無い。

小さい頃から望めば大体のものは欲しがれば買ってもらえたので、「欲しい」という気持ちや、手に入るまで頑張る「執着」みたいなものも多分無い。初めて「欲しい」という気持ちを自覚したのは多分女の子を好きになったときだ。中学生くらいだろうか。心の底で、本当にお願いすれば手に入るというイメージがあったが、少しづつ手に入らないものに出会う中で小さな挫折をした。

女の子、懸賞の商品、健康な足、どうしたって手に入らないものがあるってことに気がついた。

しかし恋愛においては高校生あたりでどうにかなることに気がついた。
それまでひたすらに執着していた女の子という得体のしれないものが、容姿だったり振る舞いだったり、気遣いという案外簡単な事で手に入ることが分かった。当時は世界そのものを手に入れたような気持ちでいた。
高校生までの恋愛は目先の利害が一致していれば成立する。

大学生になって「お金」という概念が入ってきた。
僕は望めばある程度何でも買ってもらえたこともあって、お金という物自体に執着はない。お金と交換する“物自体”が欲しい。
だからこそお金に執着する人の気持がわからなかった。
奢る奢られるという経験を何度かしたが、奢っても奢られてもさほど嬉しくも楽しくもない。大した事ない、と言い換えたほうが良いかもしれない。
だけどこの大したことの無いことを異常に重要視する人に出会った。
大学時代の彼女だ。
お金を払ってもらうことで優越感に浸っているのを見るたびに、
今まで何にも買ってもらえなかったんだろうなと思った。
高いものを身に付けたい、高い料理が食べたい。
そういう事を言うわりには食べ方のマナーのようなものがなってなかったり、とてもチグハグだった。
僕はその幼稚さと、お金に価値観を乗っ取られたような大人の部分を交互に見て相当疲れた。

なんかそういう全てが嫌になってしまって、半分彼女から逃げるために大学をやめた。なんであそこまで追い込まれてしまったのかはわからないけど、多分自分の世界にいきなり大人がズカズカと入り込んできたことへの強い拒絶感と言うか、そういう拒否反応だった気がする。
大人を知るたびに教師への憧れも消え失せ、何がしたいのかわからなくなった。

この文章を打ちながら、繋がりがオカシイかもと思ったりしたけど日記だから読み返したりはしない。もういいのさ。

そして昨日会社を辞めるに至るまでも、大人との反発が多かった。
僕だってもう年齢的に見たら立派な大人なのにね。
仕事はお金と時間を交換するだけの事なんだろうか。
現実的なところだと… このセリフにかき消される大量のアイデアはあんまりにも可哀想だった。口では変化を望んで行動に移さないのは勝手だけどさ、命ってそんな長くないよ。
必死にお金を貯めて世界一でかい葬式でも開くつもりなんだろうか?

会社、通勤電車、東京、どんどん嫌いになった。
毎日毎日競争だ。みんなお金のために必死だ。
なんでこんななんだろう、と思う。
お金ってそんなに欲しいかな。
お金をたくさん持ったって人の上には立てない気がする。
どこまでいっても僕の社会の認識の甘さが根底にあって、その上でこんなたわごとを言っているという自覚もあるけど、それにしたって好きなこと嫌いなことを覆すほどお金って強いもんなのかなと不思議に思う。

世界一の大金持ちになったとて、別にどの立場・視点から生きたって楽しい事は見つけられると思うんだ。

なんか全部悔しいな。

こんな世界を文句を言いながらダラダラ続けていくのにも体力が必要で、
僕は結構嫌になってきてる。

地震が来るたび、ミサイルのニュースが入るたび、コロナウイルスが蔓延したときもそう。心の何処かで世界滅亡を望んでる自分がいる。
隕石がぶつかって花火みたいに終わってしまう世界を何度も想像した。
お金というくだらないものに踊らされていた人類がでっかい石ころ1個で吹き飛ぶさまは、自分の命にかえても見てみたい。

でもみんな爆発で吹き飛んだ500円玉を拾っている気がする。

そんな風に思っていたけど、
平日の昼間にすべきことを与えられていない状態っていうのは結構辛いところもあって、自由という圧倒的なものの前で立ち尽くしている感じ。

面白いツイートにふふっと笑うその瞬間さえ罪悪感を感じる。
情けなさと言い換えても良い。

結局僕は何がしたいんだろうか。
つまるところ適度なストレスの中で大多数と違う方向を向いて、ひねくれた言葉を吐くことに生きがいを見出しているカスです。

ボンボンとして育てられた、社会を舐めた人間の末路としてはこれ以上にないくらいの完璧な流れで笑ってしまう。

心の底でどうにかなるっしょ!という気持ちが抜けないので、数年後苦しむと思います。メンタルを鍛えて自殺しないように頑張ります。

おわり!

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