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【音楽活動の歴史】しゃな史

こんばんは、しゃなせんぱぃです。


8月ですね。

コロナもあり皆さん出勤や外出の頻度も減るのかなと思いますが、熱中症は変わらず気をつけましょう。


わたしは今年も塩分のある飴を買いました。


過去に暑さで具合悪くなってから習慣になっちゃいました。



そして月が変わったという事はあれですね、


お題ブログです!


今月のテーマは、音楽活動の歴史という事で、少し私語りをさせていただこうと思います。


【ドラムとの出会い】


幼少期や学生時代はほぼ演奏者の経験はないです。

小さい頃少しだけピアノや、中学の授業であったアコギ、あとはリコーダーくらいでしょうか。

運動部に所属していて、泳いだり走ったり打ったりばかりでしたね。


聴く側としては当時チャートを賑わす新曲か、アニメが好きでアニソンを好んで聴いていました。


そんな吹奏楽部にも軽音部にも全く無縁のわたしでしたが、バイト先の先輩に勧められてドラムを教えてもらうようになります。


理由はちょっと面白くて、引きこもり癖のあるわたしを先輩が外に連れ出すため、とでもいいましょうか。


正直この時のこの先輩の優しさと情熱が今、ドラマーとしてのわたしを作っているな、と思います。


本当に色々な手法でやる気のあまりないわたしに1から基礎から応用まで、選曲、練習方法、果ては曲を合わせるメンバー集めまで今思うと優しさの塊ですね。


人生初の作詞を経験したのもこの頃。


『せんぷうきのうた』


何でもいいから書いてって言われて、日頃お世話になっている扇風機への気持ちを綴った歌です。
作曲とアレンジしてもらい、さらにイラスト・譜面付きの歌詞カード(冊子?)を頂いて。


うれしかったですね。


【コピーバンド初期】


当時引きこもり体質のわたしは、少しドラムお休み期間がありました。


それでも昔からたまに謎の行動力を発揮する時があり、まだアニメ化されてない連載されたばかりの頃のけいおんという漫画を読んだ時に、


あれ、これ、わたしドラム叩けるな。バンド組めるかも。


とおもって、ネットのメンバー募集サイトを眺めるようになりました。


そんなこんなで初めて組んだバンドはアニソンとボカロのコピーバンドでした。


今はもう使ってないノートパソコンに練習音源があって、数年前に聞き返して赤面した経験があるので、今聞いたら息の根が止まるでしょう。


このバンドを抜けた後は本当に転々としてましたね。


メンバー募集での出会いは良縁もあるけれど、正直恵まれない事も多いです。


1年以上続けられたバンドは数バンドかな。


【コピーバンド後期】


経験と練習の中である程度ドラムと耳コピの技術を会得してからは良縁にも恵まれ始めて、今のわたしの人間関係の基礎となるようなバンド活動が出来るようになってきました。


ヨルのメンバーの₫と出会ったのもこの時期。


相変わらずアニソン、ボカロのコピーバンドをやっていましたが、

わたし、

求められると嬉しくなっちゃうと言いますか、

なんと言うか、

いっぱいバンド掛け持ちしてましたね。


7週で6回ライブした時はもう、何がしたかったんでしょうね。

1日13時間(4バンド)バンド練習して、翌日25時間寝た事も。


今となっては笑い話、に、させてください…。


【オリジナル期】


今ですね。

元々ボカロのコピーバンドを共にしていた₫に誘われて人生初のオリジナルバンドに加入しました。


正直、当時は₫とやれれば何でも良かったけど、今振り返ってみるとドラマーとして、音楽家として、得たもの、成長した事がたくさんあります。


やー、音楽活動の歴史となると、どうしても長くなってしまいますね。


順風満帆ではないけれど、これまでわたしとメンバーという形で関わってくれたみんなには本当に感謝ばかり。

おかげで今の自分があります。


まだまだ語り切れませんが今日はこの辺で。


しゃなせんぱぃでした。


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