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夜野群青 → 理柚 07/12

理柚さんとの往復書簡、7話目です。
先日、理柚さんからいただいた手紙がこちら。

長い長い梅雨が明けたと思ったら、今度は灼熱の夏がやって来ました。季節の移ろいを味わう以前に、その激しさに翻弄され、押し潰されそうな自分がいます。あなたがおっしゃるように、こんな季節の中では、染み入るような雨の名前もいつしか忘れ去られてしまうのかもしれません。

そんな弱気な自分を後目に、蝉はかしましく、蔓草は天を目指して伸び、次々と花を咲かせていきます。夕刻にはぐったりしていた樹木の葉も、わずかな夜露を吸い込んで朝には息を吹き返している様に、「もっとしっかりしろ!」と喝を入れられている気分にもなります。

前回のあなたのお手紙にあった「水なす漬け」、食したこと、あります!とても美味しくて、止められなくなったことを思い出しました。手で割いて食べる、というのも、包丁を必要としない柔らかさと、均一に切られることを拒否した気高さが溢れている!と、ますます茄子の虜になりました。

そうそう、以前、東北のあるお宅に立ち寄ったときのこと。大きな器に山盛りの小さな茄子のお漬物をふるまっていただきました。つやつやした紫の愛らしい形に目がくぎ付けになってしまったのは勿論のこと、いくら茄子が好きでも全部は食べられない、という惧れと、一つでもつまむとその茄子の山の均衡が崩れるのではないか、という緊張感で、結局、一口も食べることができませんでした。それ故に、あの茄子群はひときわ美しく私の思い出の中で生き続けています。

本当に茄子というものは、色といい艶といい、食感といい、食され方といい、なんて官能的な野菜なんでしょう。90パーセントが水分であっても、食べ過ぎるとからだを冷やす、といわれようが、私は茄子を、夏の茄子を欲してしまうのです。

ああ、すみません、私の茄子愛が溢れてしまいました……。

茄子に限らす、旬の野菜というのは、見た目も美しく、苦みやえぐみ、辛みも全部ひっくるめて味わい深いものだ、と最近しみじみ思います。あなたの食卓に並ぶ野菜を思うだけで、なにかしらほっとするような、沈んだものを引き上げてくれるような、そんな気持ちになってきます。その土地の空気と水で育ったものは、何にも代え難い生命力に満ち溢れ、まぶしく、体にしみわたるような旨みがあるのでしょうね。

この特別な夏が過ぎて、次の季節が来るころには、また新しい「美しく美味しいものたち」に出会えると思うと、ほんの少し前向きな気持ちになってきます。そして、耳をすませれば、もしかしたら自分にも「世界のへしおれる音」が聞こえるのかもしれない、とぼんやり思ってみたりもするのです。

以下、わたし、夜野からの返信です。

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一生の大半を土中で過ごしやっと成虫になり外へ出たと思ったら寿命を迎える前に、人間でいうところの熱中症のような状態で亡くなるだなんて、なんたる夏がきたのだろう。
蝉が灼熱のアスファルトの上で乾涸びている姿に眉をひそめるわたしが、なぜ蝉の話をしたのかと云うと、そういえば蝉がでてくる話を少し昔に書いたなあ、と思い出したからです。
(どうしても蝉と甲虫は苦手です)

小茄子の話、じつに謙虚であなたらしいなと思って読みました。
あるがままの美しさを自らの手で壊したくない、そんな気骨をも感じられました。まるで片想いのようにも。少しバランスを崩すとわたしたちは誰だって危うい生き物なのかもしれません。またそうであるからこそ、大切にするものや愛おしい時間が在るのだろうと、そうも思います。

わたしは夏になると思い出す記憶があるのです。
美しいかどうかはさておき、そのひとつ。
わたしの祖父母の家は、曽根崎の高層ビル群の谷間にある木造二階建ての一軒家でした。わたしが年端もいかない頃までは周りには何もなかったのですが、一人で電車に乗って祖父母の家に遊びに行く頃には、梅田ロフトを皮切りに土地開発が進み高さを競うようにしてビルが立ち並び、見上げる空は年々小さく切り取られるようになりました。
若者達が流行りの衣装に身を包み、楽しそうにおしゃべりしながら歩いている道を一筋隔てた都会から抜け落ちた場所に祖父母の家はあったのです。
季節や時間問わず家の中はビルの影で、じめじめとした纒わりつく湿気と暗さが常にありました。

 そこにパチンと裸電球が灯るのです。

わたしが遊びに行くと、いつも橙色の電球の下で、祖父は肘から先がない手と脇を使いサイダーの瓶を器用にはさみ、栓抜きで泡を立たないよう注いでくれました。
酒屋さんからダースで注文した際に粗品としてついてくる広告の印刷されたグラスに、気泡が生まれては消え生まれては消え、炭酸が抜け、気泡が小さく静まるまで眺めているのがわたしは好きでした。

そんなひっそりと暮らす祖父母の家の勝手口を出ると猫の通り道かと思うほどの細さの路地があり、隣の家と繋がっていました。といっても、隣の家の陽の当たる表側とは別に、お婆さんがひとり住んでいました。納屋を間貸しているのだと思われました。
風通しのために開かれたままの引戸から覗くと、窓の全く無い四畳半ほどの空間がありました。まるでそれは穴ぐらの寝床でした。
暗さに目が慣れ、その穴ぐらの中に蠢く気配がし、夏だというのに冷気が漂っているように感じられ、わたしは鳥肌の立った自分の腕をさすりました。

いっそう暗闇を濃く煮つめたくらやみにまんじりともせず、その人物は静かに佇んでおりました。

 くらやみのあぶく、だ。

「おばちゃん、なんでここ真っ暗なん?」
「そうか、暗いか」
「電球ないのん?」
「めくらやから光は要らんのよ、お嬢ちゃん」

 ————くらやみに、あぶく。

わたしにも視えない世界が在ることを知ったのもこの時です。
また、決して持ち得ることのできないものが人の輪郭を造っているのだ、と感じた瞬間でもありました。
山登りの格好で手を振って旅立ったあの二人のこと、暑い夏の日に出会った人たちのこと、名もなき人の影が、眩しい夏ほど色濃く影を落とすから、ずっとわたしは忘れられずに今もいるのです。

夜野群青


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